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  • 畑村 洋太郎: 失敗学のすすめ

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医療

最後の外来が終わりました

先日当院での最後の外来が終わりました。

1ヶ月ほど前からアナウンスしていたのですが、いきなり聞かされた患者さんもいて、2人ほど涙を流され、私ももらい泣きをしそうになりました。

こういう別れを無駄にせず、新天地でより一層の努力をしないといけないと心新たにしました。

送別会続きで体調不良。やっとあと1回になりました。

引越しの準備もラストスパートです。

医療器具の進歩

医療器具の進歩には目覚ましいものがあります。

先日学会で、腹腔鏡下直腸切除のランチョンセミナーを聴いたとき、講演の先生が、「○○社の腹腔鏡システムとスコープをぜひ使ってみてください」と宣伝されていました。

ぜひ使ってみたいと思い、先日当院で行った腹腔鏡下胃部分切除に○○社のデモ器を借りて使ってみたところ、驚くほどの画質と操作性でびっくりしてしまいました。

これはぜひとも購入しなければという思いに駆られました。

医療器具は日進月歩開発がすすめられ、めまぐるしく新しくなっていきます。さながら自動車やパソコンなどの進歩のようです。しかしながら「高い!」

一千万を超えるものが大半のため、病院に申請をして購入してもらう必要があります。

そのためには「機種選定委員会」なるものなどを経てうまくいけば1年くらいして購入となるのですが、そのころにはまた新しくもっといいものが発売されていたりします。

もちろん道具に頼らず腕を磨くのは大事なのですが、ある程度全国的なスタンダードな器具を使わないと、学会等でもものが言えません。

そのためには絶えずアンテナを張り巡らす必要があります。即座に情報をつかみ、それを検証する、よかったら購入の手続きをとる、地方にいるからという負の理由は今の時代ありません。

抗凝固剤と外科治療

最近は、抗凝固剤を服用している高齢者が多くなってきました。心筋梗塞、脳梗塞の治療既往がある方です。

最近は心臓カテーテル検査で延命に寄与している反面、これにより抗凝固剤をやめられないという患者さんが多くなっています。緊急手術でも、これを休薬し、凝固能を正常化するまで待てませんので出血のリスクを負ったままの手術ということになります。

そんな中、手術に向かうのはかなりのストレスになります。いつも以上に止血に丹念になりますし、手術時間ものびます。あとでドレーンや創からけつえきがじわじわといった事態もあり、術後も予断を許しません。

しかしながらそんなことを繰り返しても出血が止まらなくて困ったということはほとんどありません。むしろいつも以上に丁寧にしますので、あまり術後のトラブルがないことが多いです。

抗凝固剤内服中の患者さんの場合、手術や観血的な処置など気が重いですが、「丁寧を心がけるよう」という戒めをしてもらっていると考えると、なんとか乗り切ってやろうという気にもなります。

ジャパニーズスタンダード>グローバルスタンダード

世界市場に目を向けた戦略を立てるという「グローバルスタンダード」が盛んに叫ばれています。とくに経済界ではTTPに参加することによって、世界市場に日本製品を積極的に参入することにより、経済の活性化を促すことが主張されています。

企業ではユニクロや楽天など英語を公用語にすることによりグローバルに活躍できる人材を育成しています。

そのため、日本製品がガラパゴス化といわれ、携帯電話などネガティブにとらえられることが多いです。しかしながらこのガラパゴス化したものが、本当に日本にしか通用しない駄目なものなのか?そんなことはないと思います。ガラパゴスといえば聞こえが悪いですが、日本で生み出されたオリジナリティの高い、日本で普及したものが世界じゅうにもてはやされることはよくあることです。例えば日本のアニメや電化製品など世界の人が憧れをもってみられることもたくさんあります。

医学界でも日本で生み出されたESD(Endoscopic submucosal dissection:内視鏡的粘膜下層剥離術)や海外で生まれ日本で発展した腹腔鏡下手術などは、エキスパートが海外に出向き、日本での素晴らしい技術を世界の医学者に広めようとがんばっておられます。

日本人の緻密さは、電気機器のみならず医学技術も充分にトップクラスです。グローバルを叫ぶのも結構ですが、日本独自の「ガラパゴス」を磨き、それを世界に発信することも充分に価値のある素晴らしいことだと思います。

ノロウイルス感染症について

年が明けました。皆様あけましておめでとうございます。

さて、年末から私の病院にもノロウイルス感染者が何人か入院してまいりました。

全国各地でノロウイルス感染者の死亡が報道されています。もちろん、お亡くなりになられた感染者の方々はお気の毒だと思いますが、ノロウイルスは基本的にそれ自体では死亡に至りません。患者さんの持っている基礎的体力、併存疾患、続発症が原因で悪化や最悪の場合に死に至ります。

今までもそうですが、感染症についての報道のあり方について疑問に思うことがあります。

それは病院側での対策が不十分ではなかったかなど、犯人探しに視点が向けられ、いかにもその病院が悪いようなことを書く報道機関が多いということです。

もちろん、感染者に対し、十分な治療や他に感染を広げない努力はすべきだとは思いますが、それをきちんとしても、その患者さんの持っている併存疾患や体力が死亡につながります。そのため、よそで感染した患者が入院し、亡くなられる場合、病院側に責任があるとは言えません。

もちろん対策を講じずに院内で明らかに感染が拡大した場合や下痢嘔吐に対して輸液をしなかった場合は責任が問われると思いますが、それ以外は少なくとも病院名の公表などには慎重にすべきだと思います。

特に個人病院の場合、経営に著しく悪影響を受けることは必至です。そのためノロウイルスが判明するとすぐに公的病院に転院依頼する個人病院もあるようです。

ノロウイルスに関してはその対策や病気の特徴(潜伏期間、感染経路)など広く世間に知ってもらえれば怖くない病気です。私も恥ずかしながら、ノロウイルスの患者さんを受け持って初めて知りました。

88歳ご高齢で寝たきりの方でしたが、ノロ感染は1週間ほどですぐよくなりました。

情報の伝達、これにより一般の方々に病気を周知させる、これがまず報道で広く行われるべきです。

PHSの功罪2

何とか教授面談終了しました。

はてさて人事どうなるのでしょうか?私を含め大きく変動がありそうです。

それはさておき、先日忘年会がありました。

いろんな話をしているときに、ある看護師の方より、先生は「たまに話し終わるとPHSをぶちっと切られる」といわれました。

以前「PHSの功罪」で述べましたが、PHSはいつなんどきでも即座に連絡をとれるのはいいですが、相手の状況が見えない状態で話をされため、電話で会話するのが困る状況があります。

もちろん100回に2,3回は「そんなことも言っておられないくらい大変な用事」ということもありますが、大半は今すぐに会話しないといけないとは言えない内容です。

せめて、相手が電話で今話していい状況かどうかを確認し、了承を得るのが礼儀ではないかと思います。

外科医の場合は特に、手術や処置中、患者さん家族と深刻な話をしている状況など多々あります。その際、急を要さない内容でさえぎられると非常に困ります。おそらくのそんな状況で用件が済むと「ぶちっ」と電話を切っていたのではないかと思います。

もちろんそう指摘されて、「すいませんでした」と表面上は謝りますが、電話先での相手の状況を思いやるというは、ある程度常識的なことではないかと思うのです。せめて「今よろしいですか」や「お忙しいところすいません」などの言葉を添えて用件を話し始めるのが礼儀ではないかと思います。

一般の方でも、携帯電話の普及によってそういった機会があると思います。そんなときは「今電話で話せないので後でかけなおします」など言うことができますが、我々の場合、内容を聞かないと、急がないといけない内容か、いつでもいい内容なのかを判断できません。せめて話す前に一言断ってから話すのが礼儀だと思います。

こんなこと私があえて病棟で看護師に向かって言うと、うるさがられるかもしれないなあと思って黙っています。いつかいい時期に話そうとは思いますが、こういった接遇のレクチャーをだれかしてくれないかなあと思います。

有名人がつぎつぎ消化器癌に

最近、食道癌で亡くなられたの中村勘三郎さん、お笑い芸人で胃癌で手術を受けた宮迫さんなど、消化器系癌になられた方の報道が目立ちます。以前は王貞治さんが胃癌で腹腔鏡下胃全摘を受けられ話題になりました。

こんなときネットやニュースを見ながらわれわれは「あーだったんだろうなあ」と仲間内で話すことがありますが、実際、医療サイドの当事者の立場からすれば「かなり大変だろうなぁ」と想像できます。

とくに食道癌で亡くなられた中村勘三郎さんのように術後の合併症で亡くなられたりした場合など、術後管理において、懸命の集中治療、患者家族へ費やされたの多大な説明時間などを考えると、とても頭が下がる思いです。

治療する医師としてこれらの努力は当然のことと思われるかもしれませんが、亡くなられた後のご家族の「先生たちは精いっぱいのことをしていただきました」とのコメントは、結果が悪かった場合なかなか言えないと思います。その言葉の中に医療サイドの懸命な努力が垣間見えたような気がしました。

中村さん自身かなり無念だったとは思いますが、医療に携わった人々もそれに劣らず無念であったのだろうと想像いたします。

意外と何もできないものです

先日、プライベートで旅館の温泉に入ろうと脱衣所にいったところ、金髪の若い男性が服を着たまま、男風呂の浴槽をのぞいていました。どうしたんだろうと思いしばらく後ろから眺めていました。急にそのまま浴槽のほうに走っていき、つかったまま意識のない老人に駆け寄って声をかけていました。

みるとその老人は呼名に反応せず、意識はありませんで、手足も動きません。

「これはまずい」と思い、わたしもかけより湯船から引き揚げ、タイルの上に寝かせてバイタルをチェックしました。心拍、脈拍はしっかりありましたが、呼吸が微弱。呼びかけや刺激にも全く反応がありませんでしたので、脳出血を疑いました。

息子らしきその金髪の男性に状況を聞こうと思いましたが、日本語が通じません。韓国人とのことでした。英会話は何とかできるようでしたので、英語で話そうとしましたが、うまく会話ができません。日ごろの勉強不足を嘆きました。

さらに救急車が来るまでの間、脈を診、瞳孔を確認、たたいて刺激しするくらいで何もできません。ようやく救急車が来ようかというときに、刺激に反応を見せ、呼名反応するようになりました。

翌朝、朝食会場で元気にパクパク朝ごはんを食べていたそのご老人を見かけました。単にのぼせただけだったようです。

適切な処置ができていたのかわかりませんが、こんな時医師は非常に無力なもんです。おまけに英会話もいいたいことが言えずもどかしい思いをしました。

よくテレビでいざというときに活躍するかっこいい医師の姿が見られますが、何も道具の持たない丸裸な医師はほとんど役に立たないようです。私だけかもしれませんが.....。

DNR(DNAR)という言葉

最近、医療現場、特にがんを扱う現場でよくつかわれる言葉にDNR(DNAR)というものがあります。両方とも「もしも心肺停止になったときに蘇生術をするかどうか」との問いに「自然のままで何も処置を行わない」とご家族と協定を結ぶことを意味します

DNRは入院中に予期できない心肺停止のとき、また、DNARは癌の末期でいよいよ命が尽きるときという意味合いがあるようですが、我々癌を扱う終末期医療の現場ではこのDNARにあたるようです。

癌の患者さんを持つ家族は、もう治る手だてがないとわかってはいても、いざ命が尽きる現場に立ち会えば、受け入れがなかなかできないものです。

このDNARの話をしていなければ、直面した医師が挿管、心臓マッサージや人工呼吸器管理をせざるを得なくなります。

この話を家族にするのはとても辛いですが、いつかはしないといけないことです。患者さんをみはなすみたいなニュアンスになってしまいがちですが、患者さんのつらい思いを長引かせないということを訴え、蘇生が無意味であることを分かってもらうしかありません。

一日でも長く生きてほしい。家族にとってはその思いが強いですが、患者さん側からの立場からすればこれい以上頑張らせるのはかわいそうだということです。

倫理委員会にて

先日、当院内での倫理委員会に出席しました。いくつもの題目について、倫理委員のメンバーとして承認をしました。大学が主催する臨床実験に参加する内容であったり、がん患者登録についての承認であったり、多岐にわたる内容でした。

中でも、当院での患者さんのデータを論文にするために倫理委員会に通すといったことが必要であるといわれたことには驚きでした。患者さんの名前が知れるわけでもない、さらに前向き試験(ランダム試験)などを行っていない複数の患者さんのデータをまとめて論文にするのに倫理員会を通す必要があるのかどうか?そんなことは今まで考えたこともありませんでした。

どうも集中治療や救急の分野では「倫理委員会」を通すように言われているようで、我々外科の分野ではまだそこまで厳しく言われていません。

しかしながら時代の流れで、こうしたことが他の分野でも言われてくるのは目に見えています。ただ、単にデータをまとめて発表するのにこうした手続きを踏む必要があると言われれば、ますます論文作成に遠のいてしまいそうになります。

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