医療

せっかくの新型インフルエンザワクチンなのですが

全国的に医療機関をはじめとしてインフルエンザワクチン接種が始まり、当院でも希望者にインフルエンザワクチンの接種が昨日より始まりました。

本日、接種希望で書類を提出していたのですが、どうも風邪気味で体調が優れないので、今回はやめることにしました。

ワクチンを打ってもらいたい人が世間にはいっぱいいて、医療機関に勤務しているということで優先的に打てる状況であるのに、なんかもったいない気もしましたが、調子が悪い中ワクチンを打ってさらに体調を崩すようなことになれば何のためにワクチンを打つのかわからなくなってしまいます。

打たないとなれば、やはり予防に徹するしかないわけで、手洗い、うがいを励行して行こうと思います。

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化学治療をどこまで...。

最近、大腸癌の抗癌剤治療の進歩が目覚ましく、FOLFOX, FOLFIRIといった多剤を組み合わせる治療、および、それに新しい分子標的薬(アバスチン、アービタックス)を組み合わせることにより、手術後再発症例や、切除不能症例にかなり有効な成績が得られています。

外来や入院で行うのですが、薬のつなぎ替えが煩雑で、当院では薬の調整やつなぎ替えをおもに医者がしないといけないので、成績が良くなり延命できるようになるとこれらの患者を多く受け持つことになり、手術や検査ととともにかなり負担となります。

とはいえ、患者さんのためにはなることなので頑張ってするしかありません。腫瘍内科医がしてくれればいいのですが、都会でもほとんど外科医がしているのが実情のようです。

しかし、抗癌剤治療というのは長くしていると効かなくなってきて、手詰まりになってきます。最近、いろいろな治療をしてきた患者さんが手詰まりになってきてどうしようかと悩む患者さんが増えてきて困っています。

外来でCTや腫瘍マーカーの結果を話さないといけないのですが、いろいろしてきて治療法手詰りになってくると言葉が弱弱しくなってしまいます。「もう有効な治療はありません」というわけにはいきませんので、副作用の少ない治療(当然あまり治療効果は期待できないのですが...。)を勧め、できるだけ外来治療で行い、残された時間を自宅で長く過ごせるようにします。患者さんもうすうすわかってくるようですが、あまり詳しく聞いてこないことが多いです。そんな時どこまで治療を、と悩みます。自分だったら...、ってかんがえますが、まったく治療を切ってしまうのも不安感を募らせます。

成績が良い治療が出てきたのはいいことですが、ずっと効き続けたり、全く消えてなくなる治療ではないわけですからいつかはそんな時期が来るわけで、その時の対処に頭を悩ますことが最近多いです。

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外科医がいなくなる?

日本外科学会のアンケート調査の結果がニュースで出たようで小児科、産科の陰に隠れ、外科医が減っているというものです。

外科医がいなくなる?過酷な勤務状況で若手の外科離れが進行

新規外科学会入会者は以前に比べ2/3にとどまっており、超過勤務やそれに見合うだけの賃金が少ない、訴訟のリスクが高いなどが原因となっているようです。

また、当直明けの手術も6割が当たり前にされているという事実など問題が明るみになっています。

厚生労働省の手術点数についても外科医に対しかなり厳しいものであり、医療費削減の付けが回っています。もうからない、リスクが高く割に合わない、など若手医師が敬遠する原因となっています。

以前、ブログで述べましたが、「外科医のかっこよさ」できつい勤務にも耐え、10年以上かかり一人前になることを夢見る若者は少ないようです。

外科医師はお金ではないと信じていますが、それでも訴訟のリスクにさらされ、きつい勤務に耐えるのはさすがにわれわれある程度年数を経た外科医も厳しいものがあります。

私は幸い訴訟になったことはありませんが、それに近い事例は何度も経験してます。

それは、別に私に過失があったわけではなく、予期せぬことが起き、それに家族が不満に思い納得せずすごい剣幕で私に迫るといったことです。

一生懸命ミスなくしても、結果が悪い、もしくは確率の低い合併症はどんなに経験を経ても起こりうるわけで、あのときああしてればよかったじゃないかといわれても、その時はそれがベストと思い、行うわけなのでどうしようもないです。

わざとする、もしくはミスで起こるといったことであればいたしかたないのですが、一生懸命患者を救おうとして行った行為を、「間違った行為」として刑事事件として逮捕される時代です。なにを頼りに医療を続けていけばいいのか、若い医師に限らず、ある程度経験のある中堅、ベテランの医師もそう感じざるをえません。

40代の医師が今の外科を支えているとのことですが、そういったことは感じず、ただ毎日を必死に仕事しているとしか言いようがありません。訴訟のことを考えながら医療をするとそれこそ“委縮医療”になり、最近の“受け入れ拒否”もこうした「触らぬ神にたたりなし」みたいなことが少なからず関係していると思います。

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なにやら見慣れぬ若者が

最近、ICUや救急外来で見たことのない若者がうろうろしており、名札を見ると“○○大学 学生”と書いてあります。

どうやら夏休み帰省した際に、大学医学部の学生が地域医療の現状を見てみようと、見学に来ているようです。数年前にはそんな学生は見かけませんでしたが、最近は、興味があるせいか、ちらほらいるようになりました。

われわれが学生のときはそんなことをしようなんぞ、これっぽっちも思ったこともなく、している学生もほとんどいませんでした。最近の学生さんは貴重な夏休みをこんなことについやして見上げたもんです。

残念ながら、私がその学生さんたちに接する機会はほとんどありませんが、私の出身校の学生さんだったりすると “おっ!”と思っちゃいます。えらい!

うちの病院に見学してどんな印象を持ったか聞いてみたいくらいですが、あんまり気軽に声をかけると “何だこいつ!”と思われそうなので我慢して黙っています。

将来の地域医療にどのくらい貢献してくれるのか?少しでも多くの学生さんが、われわれがリタイヤしたときに、最前線で働いていてくれることを祈ります。

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融通のきかない医者

大腸癌の患者さんが、透析されている方でなおかつ心臓病であったので、術後ICUで管理することになりました。

ICU(集中治療室)はある程度の総合病院であると施設として備わっており、術後や重症患者さんの全身管理を行うところで、人工呼吸器やモニターなどがついた少人数の患者さんを大勢の看護師と医者で管理します。

私の病院はICU4ベットですが、外科、心臓血管外科、循環器科、内科などの患者が入れ替わり出入りします。

病院によっては、集中管理専門の医者が一手に管理するところもありますが、当院では各科主治医が点滴などの指示を行います。

わたしが、自分の患者のバイタルをチェックしていると隣の内科のベットで麻酔科の先生が内科の先生を怒っていました。

ICUの管理責任を任されているのはその麻酔科の先生なのですが、ショックの患者の管理について内科の先生がその麻酔科の先生に治療方針について相談しなかったのが、管理者である麻酔科の先生にとって気に入らなかったようです。

内科の先生からすれば忙しい麻酔科の先生の手をわずらわせたくないと思い、自分で管理していたのでしょうけど、麻酔科の先生からすると「自分の好き勝手に管理して」と思ったのでしょう。こういった、各科が交わる部署においては医者同志の主張がぶつかり、気まずいことになったりすることがあります。

こういったことは世間一般の会社などでも起こるのでしょうが、仕組化がきちんとされていたり、対応が大人であったりして、うまくいくのでしょうが、医師の場合、自己主張が強く、結構面倒なことになったりすることもあります。

患者さんにとっては医者は「自分が一番」という顔で治療に当たる必要がありますが、こと医者どおしについてはそういう態度はお互いに融通がきかないこともあるわけです。

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パフォーマンスも必要?

癌治療をしていると、思い通りうまくいかないことも多々あります。患者さん、およびその家族に治療前に説明したことが予定通りにいかない場合、「しょうがないじゃないか」と思ってしまいがちですが、それではやはり患者家族は納得しません。

医師は神ではありません。ですが、ミスといわれないためにパフォーマンスをする必要もあるわけです。その時、大切なのは「いかに患者さんの身になって親身になれるかどうか」ではないかと思います。いやらしい考えかもしれませんが、それしか手がありません。

感情的になられると理論的に何を言っても受け入れられないからです。

インフォームドコンセントは、そういったいった、いわない、の水かけ論的な議論をする戦略ではなく、最後にはやはり感情が左右することを最近よく感じます。

我々医師は自分を守るために、言ったことをカルテにちゃんと書くよういろいろな場面で指導されますが、それだけですべてが乗り切れるわけではありません。

予想外のことも、普段からいかにいい医者でありつづけることが必要で、そのためのパフォーマンスも必要なのでは?と最近考えるようになりました。

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どちらをとるか?

先日、循環器科の先生より緊急内視鏡の依頼がありました。

2日前、心臓カテーテル検査し、ステント挿入(PCI)した患者さんが下血をおこし、貧血が進行しているとのことでした。

私は外来の日でしたので、他の外科医に内視鏡検査をお願いして外来をしているとSOSのコールがあり、内視鏡室に向かうと、胃壁にはすでにクリップがたくさんかかっておりその脇からじわじわ出血していました。

私もバトンタッチし、止血を試みましたが、すでに出血していた血管はボロボロになっていると思われ、また抗凝固剤を使用していたせいか、クリップをかけても、エタノールを局注してもじわじわと血が出続けました。

循環器科の先生に相談しましたが、ステントを入れたばかりで抗凝固剤は切れないとのことで、完全に止血しないと出続けると判断し、放射線の先生にお願いし血管造影をして塞栓術をしてもらいました。

何とか出血は完全に止まったようで、貧血の進行はなくなり、下血もなくなりました。

抗凝固剤を使わないと埋め込んだステントに血栓がつまり、再び心筋梗塞となる、抗凝固剤を続ければ、胃壁からの出血が続き生命に危険が及ぶ、となればどちらをとればいいのか?

こういったことは最近よくあります。高齢者の緊急手術の場合、何らかの理由で抗凝固剤を飲んでいるケースが結構あり、出血のリスクが高い中の手術を余儀なくされます。

また、癌のような待機手術であっても、手術のスケジュールに合わせてこれらの薬剤の調整が必要になってくることが多く、手術をすすめたり、術後の管理に関して負担が増えてきています。

今後、高齢化社会になり、心臓疾患で救命率が上がっていけばそれだけリスクの高い手術が増えることになります。心臓ととるか止血をとるか?もちろん心臓が大事なんですが、ひやひやしながらの日常です。そんなわけで外科医には厳しい時代となってきました。

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2つ目のパンドラの箱

大阪の愛染橋病院の副院長が飲酒後お産を取り扱っていた問題が報道されました。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090420-00000542-san-soci

当直を含む過剰な労働時間が一つ目のパンドラの箱であったなら、飲酒後の診療については、ある意味「2つ目のパンドラの箱」であったわけで、これを取り締まったり、公に批判したりすることはいままではほとんどありませんでした。

理由は、飲酒をして診療をしてはいけないということを指摘すると、現在の日本の医療では成り立たなくところがたくさん出てくるからです。

我々外科医もそうですが、飲酒後診察を禁止され、患者に呼び出されるかもしれないと考えると飲酒をできるのが年に数日しかないからです。

また、地方には病院に一人しか医師がいないところもあるわけでそんな医者は365日飲酒はできません。

フリーにしてもらって、当直医や当番医にまかせても、患者が急変した時は主治医が呼ばれます。当番医に対応してもらおうとしても患者家族からは「主治医を呼んでください」といわれることがほとんどです。そんなときは非番であろうが、飲酒をしてようが、夜中寝ていようがお構いなしです。今の日本の制度では主治医に責任がかかりますから、出ていかざるを得ません。

これを取り締まれると、困るとこがたくさん出てきます。ただし、習慣的に飲酒後診療をしてはいけません。この報道された先生は習慣化されていたので問題になったのではないかと思います。今までもこういった医師はいたと思われますが、報道されることなく自然淘汰されていったのだと思います。

ただ、報道され問題化されると、これに対し全国各病院である対策を講じせざるを得なくなります。そうするとますます勤務条件などが顕著に制限され、医師不足の中、やりくりできない病院も出てくるのではないかと思います。

飲酒後の診療は確かにすべきことではありませんが、それを厳しく規制するようならそのあとの勤務体系まで考えて行われるべきです。

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労働基準局の訪問

昨日、医局に行くと、5,6人の役人らしき人たちがうちの部長と話しており、医局の部屋に入ってきた私に向って部長が、1月の時間外勤務が外科のスタッフの中で一番少なかったみたいだが、実際はどうなのかと聞いてきました。

時間外勤務した場合は自主的に時間外勤務届け出を書くようになっており、その集計の結果がそうだったそうで、私の場合、手術で呼び出されたことしか記載していなかったので、少なかったようです。

実際は毎日8時、9時くらいまで病院にいるので、時間外勤務は手術がない時でも当たり前のようにしているのですが、あまりにも書く内容が多すぎるので、めんどくさくて書かなかったわけです。外科医の場合、平日昼間は手術や検査、外来をこなすのが精一杯で、カルテ記載、検査予約、患者さんへの説明などは時間外にします。また、保険の書類作成や学会準備なども休日に病院に出てきて行うこともあります。

そんなことは、医者であるなら当然のことでありますが、ものぐさな私はそれをまめに書いて書類を出さなかったためにそういう結果になったようです。それを一生懸命書いたからと言って、給料に反映されるのはわずかです。

その役人らしき人たちは胸に「労働基準局」と書かれており、部長にいろいろ外科医の実態を聞いているようでした。

なぜ今頃そんなことを聞いてくるのか、不思議に思ってましたが、どうやら奈良県立病院の産婦人科の先生たちが当直料の不払いで裁判を起こし、勝訴したとニュースに出てたことが影響しているようです。http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090422-OYT1T00722.htm

当直について、過剰な勤務時間や連続勤務の問題は「パンドラの箱」でいままで開かれることはなかったのですが、裁判で議論されたとなるといろいろ問題になることが出てきそうです。

勤務医の激務(金銭的問題や過剰労働)は「医師のモラルによるボランティア精神」により行われてきたことです。それに医療訴訟などのリスクの増加が加わり、勤務医離れが進んで、病院の医師不足につながっています。この判決はその問題に対し、一石を投じたものになるのではないかと思います。

勤務医の当直や勤務状況について、金銭だけの問題でなく、労働条件の改善について、いろいろ議論するいい機会ではないかと思います。

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Ai (Autopsy imaging) 有用でした

昨日当直だったのですが、朝6時にPHSがなり、同時にドクターハリーのアナウンスが流れました。“医師は○階○○○号に急行してください”との言葉に“○○○号といえば2人部屋で二人ともぼくの患者では...。”と思いながら駆けつけると、案の定、腹壁瘢痕ヘルニア嵌頓で緊急手術した85歳の女性が心肺停止状態でした。

もともと、上室性の頻拍発作はありましたが、抗不整脈薬ですぐおさまり、痴呆がある以外は特に問題ありませんでした。

窒息、脳出血を考えましたが、挿管し、気道確保した後も心拍がなかなか再開しません。心臓マッサージをしながら強心剤などの薬を使いましたが、一時的に心拍再開したもののすぐに心停止となりました。  “心臓か?”

瞳孔も散大し、対光反射もなかったので、ご家族に了解を得、蘇生術を終了して、死亡確認をしましたが、どうしても心肺停止になった原因が自分自身腑に落ちません。

“そういえば...。” ご家族に説明し、Ai (CT)をとらせてもらうようお願いし、御遺体をCT室にはこびました。画像を見ると“やっぱり...。”  胸部大動脈瘤破裂でした。

もともと以前より動脈瘤は指摘されており、高齢であるという理由で、手術はしないという方針であったようです。それが破裂し、胸腔内に血液が貯留しておりました。

いろいろな薬剤や処置をしましたが、ほとんど心臓が反応しなかったのに納得しました。

本来ならば、解剖をしないと原因究明できず、解剖を了承してもらえないと“心臓発作で”という言葉でかたずけられたのだと思います。CTで原因がわかったからといって患者さんが生き返るわけではありませんが、傷つけることなく、患者さん御家族もわれわれも死因に対しクリアとなったことに関してはやはりCTをとってよかったと思います。

今まで救急外来で2,3回、心肺停止の患者さんのCTを撮りましたが、死因がわかったのは初めてです。こういうこともあればやる意義はあるのではないかと思います。Ai(Autopsy imaging)については「ジェネラル・ルージュの凱旋を読みましたhttp://kenichi0118.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-f0bc.html」で紹介しましたが、今後普及してくるものと考えますが、実際に臨床の場で診断がつくと、積極的にやるべきだと思えてきました。治療に結びつかない検査を積極的に行なうことで、その費用を誰が負担するかや、画像を読影する技術の問題があるでしょうが、今後議論がなされこれらの問題がクリアされるのではないかと思います。

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総合診療部と救急科

最近、各大学病院で総合診療部が設立されたものの、まもなく廃止される大学病院が多いというニュースを目にします。

“総合診療部”とは何科に受診したらいいのかわからない患者さんが受診し、ある一定の診断をうけて各専門の診療科にまわされるといった、いわゆる“ふりわけ”をする部署と認識しています。

なぜ、そんな部署が必要となったのか、それは大学病院で総合的に疾患を診れる医師を養成するためであり、新研修医制度を見据えた設置であると思います。

いろんな診療科を2年間のうちにまわるのもその“総合的診療”ができる医師を育成するために行なわれていることで、この総合診療部も研修医にとっては人気がある部署だそうです。

ただ、そのふりわけをする役割をするのは本来開業の先生方の仕事であり、大学病院は紹介された患者さんを各診療科で専門の技術で診断、治療する場所であるはずですから、大学病院での“総合診療”はあまり似つかわしくない部署に感じていました。

研修医の若いときにいろんな疾患を診れるという意味では“救急科”も人気がある部署ではありますが、それ以降もそれ専門でするかといわれれば、一時的に経験し、後は自分のえらんだ専門で研鑽を積むといった人が多いのではないかと思います。

患者さんにより深くかかわりあう、ということが医師のやりがいのひとつに数えられるとすればこの“総合診療部”は一生の専門とするのにはやはり物足りないような気がします。

この“総合的に診れる医師の養成”は必要と思いますし、これを教える指導者は必要と思いますが、大学病院でそれが存続できるのか、それだけの価値を見出せるのかどうか。

救急科も都会の大学病院では有名なところがありますが、こと地方大学病院では、周囲の基幹病院が中心に行なっているところがほとんどだと思いますし、その存在意義も定かではありません。

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インシデントを回避するために

昨日、研修医君の歓迎会が外科医師のみであったのですが、ついつい飲みすぎたせいか、外科のメンバーで熱く議論をしてしまいました。

テーマは「インシデント」についてですが、先日、某総合病院で救急患者に輸血ミスで亡くなるという事件がありました。

院長が会見で謝罪していたのですが、「誰が悪いのか」ということで、ある先生は「そういうシステムにしている病院長に責任がある」といい、ある先生は「ラベルを張り間違えた検査技師の責任」という意見でした。

単純なヒューマンエラーがこういう悲劇を招いたわけですが、こうしたことは人間での作業であるわけですから起こりうることが前提であるわけです。

一つのヒューマンエラーで大きな間違いになってしまう仕組みに問題があるわけで、一つ間違えても大きなことにならないようにいくつもチェック機構を設けることが大事なわけです。

さらにその原因がなにかを徹底的に究明する必要があり、そのために当事者が口を閉ざしてしまうことがないよう「個人を責めない」ということが必要になります。

そのことを力説するのですが、うまくほかの医師に分かってもらってないような感じでした。わたしも酔っぱらっていて途中から記憶が途切れてしまう失態を犯し、翌日二日酔いで気分悪く外来をしました。まったくそんな体調ではインシデントを語る資格がないなあと反省しきりでした。

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新薬の導入

大腸癌の肝転移の患者さんに、このたびはじめて「ベバシズマブ」を使うことになりました(舌をかみそうな名前ですが)。これは分子標的薬と呼ばれるもので、今までの抗癌剤治療に加えることにより、より延命効果が得られるといったものです。

しかしながらとにかく高い。従来の抗癌剤よりかなり高い値段です。

さらに新規採用の薬なので患者さんへの説明や、臨時採用の手続きなどかなり煩雑です。こうした手続きを新薬が出るたびに行なわなければならず、いい薬が出てくることはいいことですが、使うものにとってはかなり面倒です。

さらに副作用の面など、なれていない薬なのでかなり神経を使います。
これば、びしっときけばそんな苦労も何のそのですが、「どうかなあ」というくらいの効果だとがっかりです。

いままでいろんな薬の導入に立ち会ってきましたが、抗癌剤でこれはいいというものは1個か2個くらいなもんです。「この薬で3ヶ月延びる」といったくらいだとあんまり感触がありません。

ただ、劇的に効く人もなかにいるため、そんなときは「やった」という気分になります。外科医は手術で切除できたというのがひとつの充実感を味わうときですが、取れなくてがっかりした後に、抗癌剤で「効いた!」という快感も味わうことができます。そういう意味でも外科医の醍醐味はふえていると思いますが、希望者が年々減っているというのはどうしたもんでしょうねえ。

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モンスターペイシャント

先日当直をしていると、交通外傷の患者が2人救急車で搬送され、その処置を行なっているときに、喘息の患者が飛び込みでやってきて、待たされたのに腹を立て、もう一人の当直である内科の先生が、目が合った瞬間殴られ、警察に連行されました。

幸い、殴られたけがは大したことはありませんでしたが、その内容がローカルのニュースで放送されたそうです。

さらに、また別の日に、私の受け持ちの患者ですが、胃潰瘍穿孔で腹膜炎の患者が、保存的に穿孔部が閉鎖し、減圧のためのNGチューブ(鼻から胃までとおしてあるチューブ)を抜いたと同時に、食事もまだ始めていないというのに、いきなり帰ると言い出しました。責任が持てませんので、家族が来るまで待ってくださいというのをきかず帰ろうとしていたのを止めた同僚の外科医師が、頭突きと蹴りを入れられたとのことでした。

私は運よく被害にあいませんでしたが、そうした患者はあとを絶ちません。暴力をふるうとなれば警察をすぐさま呼びますが、それにいたるまでにわれわれに障害を与えられないとも限りません。医者をしていると小さいことも含めるとそういったことがたまにあります。暴力は振るわれないまでも、暴言を吐かれたりして、医者の仕事が嫌になるとこもあります。

特に救急の場においては、時間的余裕がなく、患者さんへの配慮が足りなくなることもありますが、そこは、優先順位をもってできるだけ多くの患者さんをよくしようとのことです。皆、自分を優先してほしい気持ちはわかりますが、自分の判断で我々のいうことをきかなかったりするのは、やはり自分勝手といわざるを得ず、それに加え、手薄な時に訴訟の対象となるような危機的疾患に出くわすことも救急の現場から医師が逃げ出す要因となりえます

医師不足が叫ばれている中でもこんな患者がおり、厳しい勤務状況下では、積もり積もると精神的ストレスが倍増します。こういったことは実際経験しないとわからないことで、単に医師のかずがふえても永遠に解決せず、防御あるのみか逃げ出すよりほかに手がありません。

そういった意味で運悪く被害にあわれて先生方は本当に気の毒としか言いようがありません。

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佐久総合病院 小山先生の御講演

電車に揺られること1時間、内視鏡的粘膜下層剥離術(ESD)の権威であり、フックナイフの生みの親である佐久の小山恒男先生の御講演を聞いてきました。

内視鏡治療でも有名ですが、この佐久総合病院は、地方病院でありながら、地域に密着した医療を展開し、若い臨床医が研修に多数希望する地方病院のモデルとして世界的に注目されている病院です。

内視鏡治療の最先端が長野の片田舎の病院(失礼ですね)で行われているのも驚きですが、若き医師が地域医療の研修の場として多数、研修病院として選んでいることも驚きです。

この地方病院のあるべき医療姿勢というのが、この佐久病院にあるのかもしれませんが、小山先生にじかにお話しする時間がなく、残念でありました。

これからは地方病院も大学の関連施設として、大学からの派遣を頼りにするだけではなく、地方色を出し、そこで研修したいと思わせるような魅力的な病院にしていくことが残された勤務医の使命であると思います。勤務医の疲弊を訴えるだけではなく、その場での研修で実りのある医療の質が成し遂げられると感じられれば、おのずと若い熱心な医師が集まるような気がしますが、偉そうなことを言ってもなかなかできないことではあります。

どんどん勤務する医師が減っていき、残された医師にその負担がかかる、ただ、今がその正念場であることは確かです。

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非医療者に知ってもらいたい医療10ヶ条

『医療崩壊を少しでもくい止めたい一般患者の会』で掲載されている作品です。内容がすばらしいため、掲載させていただきました。
非医療者に知ってもらいたい医療10ヶ条


1:医療は不確実です。医療には限界があります。
 医師がどんなに手を尽くしても亡くなることはあります。

2:医師はエスパーではありません。
 症状をきちんと伝える為に「いつから、どこがどう痛いのか」等を予めメモにまとめておきましょう。

3:医師は敵ではありません。敵なのは病気であり、医師は共に戦う仲間です。

4:医師は病気を治すのではありません。医師は病気を治す手伝いをするのです。

5:新聞やニュースの医療記事を鵜呑みにしないようにしましょう。
 偏向報道の場合があるので出来たらネット等で調べ、多角的に考えましょう。

6:「たらい回し」「受け入れ拒否」という言葉は使わないようにしましょう。
 これらは人手・設備不足等で受け入れ能力がないために起こります。
 つまり「受け入れ不能」「受け入れ困難」の方が適切です。
7:“ベッドが満床”のベッドは物理的なベッド以外に、
 酸素マスクや看護する人員等含んだ設備と言う意味があります。
 つまり「ベッドが満床」=「(物理的な)ベッド・設備・人員すべて受け入れる余力が無い」んです。
 それから“ベッドが無ければソファに寝かせて治療”は重症患者ではとてもできません。

8:「一般人だからわからない」と言わずに調べるくせをつけましょう。
 自分の病気についても人任せにしないで正しい知識をつけましょう。

9:時間外の救急外来に平日昼間のような設備や人員は望めません。コンビニ受診は控えましょう。

10:医療崩壊について調べてみましょう。
 医療崩壊、医師不足や受け入れ不能事件の一因は我々国民にもあることを自覚し、
 何をしたらいいのか建設的に考えていきましょう。
 我々非医療者、医療者が協力し合わなければ医療崩壊はくい止められません。


「ここが間違っている」「これも入れたい」等の要望があれば
コメントかメールでお願いします。
特に3, 4, 6, 7についてはなるほどと思ってしまいました。一般の人が誤解をされやすいところだと思います。
最近、尼崎の病院で肝硬変の患者さんの腹水穿刺で亡くなられた、との報道がありました。「医療過誤」と一部の報道でされているようですが、病院側はそれを否定しています。
こういった事象は多くは医療サイドと患者側の意識のずれによることであると思います。リスクが高いことを十分説明したか、腹水穿刺の必要性を説明し、患者側が納得したかどうかがポイントです。

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内視鏡治療で

元外科医さんのブログhttp://nosmoke.kongozawa.net/sb/sb.cgiを観てましたら、“内視鏡治療が引き金 富山赤十字病院で男性死亡、術後出血止まらず”http://www.kitanippon.co.jp/contents/knpnews/20081224/18096.htmlという記事がありました。内視鏡的胃粘膜下層剥離術(ESD)により、開腹術をしたが、出血が止まらず、死亡にいたったという内容でした。

私は外科医でありながらこのESDという手技を数多くしているほうであると思いますが、術後偶発症により開腹した経験はありません。ただ、前うちの病院にいた消化器内科の先生がESDを行った際、穿孔し、さらに出血性ショックとなってしまい、手術を依頼されたことはありました。幸い一命は取り留めましたが、内科の先生は往々にして一括切除にこだわり、時間が長くなる傾向にあると思います。患者さんの状態を顧みず、長時間にわたり行いすぎると、手技に行き詰まり、状況判断が不確実になったり、高齢者にも関わらず鎮静剤を大量に投与してしまうといったことが起こります。

私はこんな経験がありましたので、いつかこのESDの手技でこんな問題が起こるのではと思っていました。新しい手技が普及する場合、どうしてもそれに伴う問題となる事象が発生します。もちろん患者さんの命がかかっていますので、それを避けるために早い段階でその対策が取られる必要がありますが、それでもやはり不幸な結果をたどることもあります。

そうした時に、過剰な報道や、個人の非難はその手技の発展に著しいブレーキをかけることになります。腹腔鏡下手術がいい例です

今や全国的にESDは普及してきていますが、医療の発展のためにも過剰な報道は慎んでほしいものです。ただ、それを防止するマニュアルの作成や指導者の育成に力を注いでほしいと思います。

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再手術の恐怖

先日、食道癌の手術を執刀しましたが、肺の癒着(ヘビースモーカーで肺気腫が強い)をはがし、食道を摘除。閉胸し、胃を吊り上げ食道再建術を行ないました。術後、胸腔に入れていたドレーン(管)から血液が流出せず、胸腔内に血の塊が充満し、ショック状態になったため、その日の夜中に再開胸しました。

癒着をはがした胸壁の剥離面からの出血で、じわじわ出る出血が持続し、さらにはそれが固まってしまい、管からでないため肺を圧迫していたみたいです。

手術当日に再び、胸を開けるということは、家族に対して、他のスタッフに対して非常に申し訳ない気持ちになり、また、再手術を決断するのも術者の苦渋の選択です。

あまり経験したくはありませんが、それをそのまま経過観察で診ていて取り返しのつかないことになると大変なことになります。

保存的に観察する」ということも精神的にはかなりのストレスです。ひやひやしながらその晩を明かさないといけませんし、「だめだ」と思えば夜中でもすぐに対処する必要があります。

精神的にタフでないと外科医はやっていけず、これに耐えれないと手術というものに億劫になってしまう。やりがいはありますが、そういう理由でメスを置く先生も多いはずです。

私は何とか踏みとどまっていますが、何かあると心が折れてしまいそうになり、これはいずれの外科系医師には宿命といわれるものです。

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境界病変で

婦人科より紹介され、直腸癌ではないかとのことで診てきましたが、どうもやはり婦人科疾患ではないかということで、婦人科の先生に連絡をしたところ「うちの疾患じゃありません」との一点張りで、取り合ってくれません。

私も消化器外科を十数年してますので、消化器由来でないと確信はありましたが、それでもぐっと我慢して患者のためにと思い、年下の医師にバイオプシー(病理細胞検査)を頭を下げてお願いし、しぶしぶバイオプシーをしてもらいましたが、結果はやはり婦人科の膣癌からの直腸浸潤でした。

相手も、年下とはいえ十数年婦人科をしている医師ですので、今までの経験上自信を持っていたのかもしれませんが、あまりにも態度が大柄であったので、幻滅してしまいました。明日、婦人科部長に言って患者さんを診てもらうことにします。

各臓器で境界の病変というとき、さてどこがみるかとなったときに、大体、みる範囲の広い外科がみることが多いです。別に、見たくないというわけではないのですが、自分の境界領域でないといってかたくなにかかわるのを断るという態度はやはりいただけないと思います。

忙しいのはわかりますが、ある程度人の言うことに聞く耳を持たないと、余裕がなくなり自分を見失うことになりかねません。

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インフルエンザの話

よく、外来で「インフルエンザの予防接種を受けていいでしょうか?」と聞かれます。抗がん剤の治療中の方は遠慮してもらいますが、それ以外の人は「いいですよ」と答えます。

インフルエンザの報道は、最近報道が加熱しており、一般の人もかなり関心が高いようです。「スペインかぜ」のように猛威をふるい、多数の死者を出す可能性があると警告しているようですが、果たしてどうなのかはわれわれ専門でない医者は正直言ってわかりません。どうも体力的に弱った老人が肺炎を併発して亡くなることはあるにしても、普段健康な成人はあまり命には別条ないという感覚でしかありませんでした。

しかしながら、今日、月一回の院内である臨床懇話会で小児科の先生がインフルエンザウイルスによる髄膜炎、喉頭蓋炎で乳幼児がなくなることもあると聞いて、認識が変わりました。早期に病院に連れて行き、診断がついても数日でなくなることもあると聞いて、子供につては恐ろしい病気であり、命は助かっても後遺症が残ったりすることも考えればやはり予防接種は受けたほうがいいと思うようになりました。

さらに、流行により、人口の集中した地域での死亡率が上昇するとなれば、大人であってもしっかりした予防が必要と考えます。諸外国に比べ日本は遅れており、ワクチンもストックが少ないと聞きます。そう考えると、情報を早めにキャッチし、それに対する対処も必要です。

癌の方は特に抵抗力の弱っている人が多いでしょうから、こうしたことにも我々も情報を張り巡らせておくことが必要だと考えるようになりました。

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知事が視察に

都立墨東病院での妊婦死亡を受けて、医師不足で悩むわが病院をさっそく県知事が視察に来ました。1時間余りの病院滞在でしたが、院長との面談、救急救命センターの視察などされて帰って行ったそうです。

県立病院でありますので、やはり、医師不足が原因で何か起こると、その対応を県がしたかということが問われるでしょうから、そういう意味では知事も大変だと思います。

県も少ない予算枠内で公共事業などを行わないといけないのはわかりますが、県民の安全性を第一に考えるのであれば、医療や災害対策を優先に考えていってほしいと思います。

また、公的病院だと、税金で運営している病院で、ある程度のことは当たり前みたいに思われる患者さんも多かったのですが、ようやく、病院がつぶれる危機を感じられて、同情的なことを言ってくださる患者さんも最近は多くなってきました。

「遅くまで大変ですね」とよく声をかけられますが、あまりそういう意識を持ったことはなく、逆に、何か起こると、時間は気にならず、うまくいかなかったときのもどかしさを絶えず抱えながら仕事をしています。それは医療をしていれば当たり前のことだと認識してきましたが、最近は、医療事故のせいでしょうか、それを避ける医師が増えてきているように思えます。外科系勤務医の激減はそうした背景もあるような気がして人数だけが増えれば解決するようには思えません。

そういう意味では、医師数を増やすだけではなく外科系医師の勤務の補償も国のレベルで考えてほしいものです。

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都立墨東病院妊婦死亡について

またも、産科がらみの死亡が問題となっています。
この手の報道にはどうしてもマスコミに対する不信感が募ります。一方的に受け入れを拒否した病院に批判的であったり、ならびに、産科医師不足の病院に対し医師獲得の努力したかどうかの責任を東京都にかぶせているようですが、そういう事態を引き起こした誘因はマスコミ側の責任も大だと思います。
「大野病院事件」のようなことがおこり、検察が逮捕した報道のあり方や、またさまざまな「医療事故」に対する一方的な医療サイドへの批判的報道が積み重なり、これにより病院側が触らぬ神にたたりなし的受け入れ拒否の態度にでたり、外科系医師をめざしていた医学部学生へのやる気を損なうことは明白です。もちろん明らかな「医療過誤」については責任を追及していいと思いますが、その背景を加味しなかったり、不可抗力的な事例についても批判されたりすると、やる気をなくしてしまい、われわれもいつそんな事態にならないかとひやひやしながら日常診療に当たらなければなりません。

もちろん、東京の場合、病院があまたあるわけですので、「うちが受けなくてもよそが受けてくれるだろう」となりがちで、何とか収容しようとする努力は払われないと思います。医師の数や病院数が圧倒的に少ない地方病院では逆にそうしたことは起こらず、東京都で起こるというのはある意味、地方病院がいかにこういった患者を受け入れるために、当直体制でない医師が呼ばれて診療に当たったり、土日に救急で受け入れられるようまだ集中治療が必要な患者を一般病棟に出し、わざわざベットをあけておくということが当たり前にあり、こうした犠牲の上に地域医療が成り立っているわけです。

大野病院のように、一人産婦人科医長で自分の生活を犠牲にしてがんばってきたりして地方医療に貢献してきた努力が逮捕という形で無碍(むげ)に扱われ、それにより少数外科系医師の引き上げを助長してきていることを考えれば、地方病院でこうしたことが起こることも時間の問題と思われます。

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都立駒込病院 門馬先生の御講演

昨日、地方の内視鏡研究会があり、食道癌の臨床で有名な門馬久美子先生の講演がありました。(私も前座で発表しましたが)

精力的に症例を積み重ねられた集大成の発表しつつ、我々内視鏡を使って診療を行うものに対して警鐘を鳴らす、熱のこもった講演でした。
食道は、細長い管腔臓器で、胃や十二指腸に比べると発生する疾患が少ないため、ときに胃への通り道のような感覚になることがあります。

さらに、食道入口部は患者さんがきつがるため、観察不十分でついついスコープをさっと抜いてしまいがちです。また早期食道癌は凹凸が少ないことが多いので、ルゴールという特殊な染色をしないとわからないことも多く、これも刺激が強いため全例にするわけにもいきません。よって早期で食道癌を見つけることはなかなか難しいことです。

しかしながら、食道癌は早期で見つければ内視鏡治療で根治が望めますが、進行癌で見つかると頸部、胸部、腹部を開いて行う3領域のリンパ節郭清を要する食道亜全摘術が必要となります。これは外科手術の中で一番大きな侵襲を伴う手術で、術後合併症で亡くなってしまう人も中に入るくらいです。

最近は、放射線化学療法がよく効くことが分かってきましたので、これら治療と組み合わせでおこないだいぶ成績も良くなってきました。

上部消化管内視鏡はスコープの径も細くなってきて、また経鼻のきつくないものも出てきましたので、比較的患者さんに気軽に受けてもらうようになりましたが、それに対し、食道癌を早期に見つけられないということであればやはりそれは検査側の診断能力や熱意の問題であろうと思います(高度器具の普及もある程度はあるのですが)。

都内の大きなで内視鏡治療を受けながら、早期食道癌を見逃し、進行癌になって命を落とされたというスライドを見せられ、我々に対し、見つけにくい癌ではあるが、病巣がそこにあるという目をもって絶えず検査に当たるようと戒めをされ、公演の締めくくりとされました。

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法医学の変遷

熊本大学法医学名誉教授 恒成茂行先生の講演を聞きました。

法医学とは、何らかの状況で発生した死体の死因や死亡推定時間を、解剖を行うことにより検索する学問です。

よく2時間ドラマで刑事とともに殺人事件の死体解剖の結果で犯人を推理するという「法医学シリーズ」にでてくるあれです。

警察に依頼され、事件の解明のために殺人か不慮の死かを調べることが多く、少し前までは年間60件程度であったそうですが、最近は医療関連死の解剖が多くなり、年間150程度までなってきたそうです。

熊本県内で、2日に1回程度死因を調べる解剖をしなければならないというのも驚きですが、医療関連死の件数が増えていること、さらには異状死届け出を主治医がする機会が増えたこと、家族や警察からの依頼もあることなど、時代を反映している感じがしました。今後、医療安全委員会なるものができ、これが法曹界、学会、病院団体、医師会、患者遺族の立場を代表する者などで構成され、異状死に対する検証が行われることになることは必至で、今、国会で審議され近いうちに各都道府県レベルで設置されるそうです。

こうした機関の設置については賛成ですが、医師、患者との間にこうした機関が入らざるを得ない世相にはやはりさみしさを感じます。

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医療 崩壊か再生か

医療 崩壊か再生か 問われる国民の選択 小川道雄著(NHK出版)

私の恩師の著です。

アマゾンをみてたら偶然この本に行きつき、早速購入し、読みました。いつかはこの手の本を出版されるのではと思ってましたが、やはり、我慢できず筆をとられ、書かれたのだろうとの印象です。以前より、この医療問題については関心が深く、こと地域医療については実際いろいろな経験をされておられますので、その意味でも、現状をとらえ、さらに世界各国との比較をすることにより、いかに日本の医療がレベルが高いか、それを維持するために日本の医療者がいかに努力しているかがよく書かれた本だと思います。

医療従事者が医療現状を執筆するにはさまざまな配慮をすることが必要です。具体的な事例を控えたり、また、一般の読者から反発をかわないよう、医療サイドのみに立場が偏らないことが必要となります。しかしそうするとなかなか真意が伝えにくい、そうした理由で、医療者はなかなか執筆には腰が重いのではないかと思います。

しかしながら、小川先生があえて本を執筆されたのは、今医療者としての声を大にしてあげなければ、医療は崩壊に向かうと切実に感じられたからだと思います。

福田首相が辞任し、これから首相となられるであろう方にはこの医療問題をガソリン税や年金、拉致問題などと同様、切実な問題として位置づけ、それに対して適切な政策を打ち出してほしいものだと思います。

そうした意味で、まずは厚生労働省はもっと細分化したらどうだろうかと思います。舛添氏は頑張っていますが、あまりにも抱える問題が多すぎてこなし切れていない様な気がするのです。せめて「厚生省」と「労働省」に分けてあげたらいいような気がします。さらに言えば厚生省も「医療省」と「年金省」などにわけないとあまりにも一人の大臣に負担がかかりすぎます。

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大野病院事件で思うこと

検察が控訴断念ということでこの事件の決着はついたものと思われます。しかしながら依然、遺族側が「控訴しなくても真実が知りたい」とコメントしていることにより、遺族側は納得していないことは明白で、今後、同様のことが起こる可能性があります。さらに、今回のことが報道機関ではたして検証し尽くせたのかどうかが疑問です。

そもそも、今回の事件の焦点は、「その事件の医療行為としての正当性がどうなのか」ではなく、「なぜ刑事事件に発展したのか」ということ、さらに「遺族側が最初から『これは医療事故なのだ』ということが刷り込まれていた」ことにほかならないわけで、最初がそうならいくら裁判所が「無罪」を判定しても遺族としては納得できないのは当然なわけです。
はじめから、「医療事故」と遺族が思い込んでいれば、「有罪」と判決されない限り、どんな正当な意見や医学的根拠を並びたてたとしても、遺族側からは「空論」にとらえられます。
ここでの遺族側のいう真実とは、「医療事故を前提とした証拠」なわけですから、そんな証拠はないとする医療側と、真実を知りたいとする遺族側は、いくら説明しても平行線をたどることになります。

したがって一番の問題は、「遺族側がなぜ、初めにこの事件を医療事故と認識したか」ということです。それにはその時点で十分な説明と、それに対する対処がされたか、事故報告として安易に病院側が過失として示談にもっていこうとしたのではないか、など事故発生当時の段階を充分に検証すべきではないでしょうか。
予期せぬことが起こったときに医師はどうふるまえばよいのか、医療機関としてどういう対策を講じていけばよいのか、医師法21条の整備もそうですが、そのことについて、この教訓を生かし検討がなされる時期であると思います。

一般の医療関係者はこの判決は妥当としますが、一番はそこに至るまでの経緯に問題があるような気がします。そういう視点でもう少しこの事件の真相を詳しく調べ、報道機関を通じて検証して言ってほしいと思います。

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ほっとしました!

福島県立大野病院の判決が20日に下りました。ときどきテレビをチェックながら仕事をしていたので、あまり仕事に身が入りませんでしたが、「無罪判決」とでて、よかったというより、ほっとしました。

その他、医療関係ブログでも「当然だ」とか「検察は控訴するな」とかのコメントが多かったようです。加藤先生がテレビに出てましたが、本当にお疲れ様という声をかけてあげたいくらいでした。

オリンピックさえなければもっと大きく注目されたのでしょうが、この裁判は我々医師をはじめとする医療関係者や医療を受ける一般の方々にすごく影響のあったものとなったと思います。

いろんなことを考えさせられた裁判でした。こんなことをされれば私は精神状態が持たないでしょうね。こういうことは外科系医師の現場のすぐそばにあり、どんな規模の病院でも十分起こり得ることです。最終的には結果が悪くても誠意を持って患者さんに対処するしかありません。

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大野病院事件明日判決!

明日、福島県大野病院産婦人科加藤医師に対する判決があります。

手術の内容にまで踏みこんだ内容で刑事責任が問われるかどうか。いままでマスコミがこの事件に対し報道を控えていた感がありますが、この結果についてはきちんと報道してほしいと思います。

この結果が、今後の日本の医療の行く末を左右するといっても過言ではありません。

我々地方外科医は無罪判決がでることを信じて疑いません。

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あやふやな知識

まんが 医学の歴史 茨木保著(医学書院)を読みました。

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先日北海道に学会に行った時、学会場の書籍コーナーに積んであったのを見て、帰ってからアマゾンで購入しました。
著者は産婦人科のクリニックを開業されている先生で、漫画家でもあられ、非常に面白く医学の歴史について書かれていました。
現在われわれがおこなっている医療は、この本に書かれているような先人の発見や経験によって培われてきたことであり、そのためにはさまざまな紆余曲折を経て現在にいたっていることがよくわかりました。
医学の歴史も、医学部では習いませんので、改めて知ることやあやふやな知識を確認することができました。
このころの時代EBM(Evidence-based medicine)という概念があればもう少し遠回りをせずに行ったのではと思うのですが、その時代時代で一種の迷信じみたことがあり、これが医学の発展の妨げになっていることが多いように思います。
そのために現在、EBMという言葉が医師の間で急速にひろまり、これについてはEBMがない、とか、EBMでは○%効果がある、とかいう会話をするようになりました。このEBMは何とく効くからと患者に薬や治療を勧めたりしていたことをデータに基づく話ができることでより具体的にできることでは非常にいいことです。
しかしながら時に、何がどういいのかわからなくなることがあります。
我々は患者さんに「○%効きますよ」と話すと、「おこなった医療の何人のうち○人効いた」ということを意味するのですが、その人にとっては「効く」ことが必須であって、まったく効果がないこともあるということもあるということを逃げているように言っているようにも聞こえます。

天気予報の降水確率50%というのとなんか似てる感じがして、逆に話ずらくなったりすることもしばしばです。

しかしながら、ここ20年でも医療はこのEBMによって様々な変化があり、EBMを学ぶということは非常に有益です。そのために雑誌を読んだり、学会に出席したりして情報収集をする必要があるわけですが、EBMを振りかざすばかりでなく、患者と医者側に隔たりがないよう関係を保つことも重要だと思います。

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勤務医の大変さが報道されてますが...。

メスよ輝け!作・高山路爛、画・やまだ哲太(集英社)

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わたしのバイブルといえる本です。
漫画ですが、昔読んで今も我が家の本棚に「課長島耕作」とともに全巻そろえて並んでいます。
当麻鉄彦という外科医の話ですが、原作者は大鐘稔彦先生(高山路爛はペンネーム)という外科の先生ですのでかなり詳細に医学記述がなされています。
婚約者を肝炎の針刺し事故で劇症肝炎となり、なくなった後、小さな民間の病院で国内初の脳死肝移植を成し遂げるまでの話が書いてあります。
移植は現在では珍しくない手術となりましたが、それでもドナーが国内ではなかなかいないのが現状です。肝移植は肉親から肝臓の一部を切除し、それを移植することが多いようです。
移植医療には私は今後携わることはおそらくないと思いますが、悪いところを切除することはできても、「取り替える」ことはやはり血管をはじめとする再建(元に戻すこと)にかなりの技術を要するわけで、一般外科医には無理でしょう。移植専門で習熟した医者のみがされる医療だと思います。
移植についてはかなり厳しい規制がもうけられていますが、こと他の医療については規制がもうけられていないのが現状です。当麻鉄彦が漫画の中で「同じ外科領域であっても、食道癌や膵臓癌など困難をきわめる手術についてその技量については何も問われないのに、なぜ移植だけが施設に限定されてしか行われないのか。手術は施設がするのではなく、あくまでも人間の手作業で行われるものである。」といった言葉が印象的です。
しかしながら、移植以外の規制はまだ厳しいものではありませんが、特殊な手術手技についてはそれぞれの専門医をもうけることで、その専門性を打ち出し、近い将来専門医を持っていないと手術ができないとか、専門医がする手術には特別な加算を取るなどといったことがでてくるかも知れません。
いずれにせよ、勤務医で働く以上、ある程度の資格や技術は今後必要とされると思います。勤務病院の医者が少なくって、日常業務が煩雑すぎて大変!っていっておられず、今のうちに資格やスキルを身につけないといけないようです。
これはいままでブログの中で再三話してきたことで、報道などでも勤務医の大変さが目立ってますが、私を含め各個人の医師はそのなかでさらに腕を磨かなければならないと考えています。

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コミュニケーションスキル

昨日、緩和ケア診療勉強会なるものがありました。

外科部長の講演でしたがその内容は、
バッド・ニュースを伝える際のコミュニケーション・スキルについて」でありました。
わが国の死亡統計(2005年)では そう死亡者数 108.4万人のうち
1)悪性新生物 32万人、2)心疾患17.3万人、3)脳血管疾患 13.3万人、4)自殺 3.1万人、5)老衰 2.6万人とがん死亡者が3分の1を占めています。やはり「がん」というのは治療法が進んできたとはいえ、いまでも「死に至らしめる病気」であることは間違いないわけです。
がん医療における「悪い知らせ」とは、患者の将来への見通しを根底から否定に変えてしまうものであり、これをいかに患者に伝えるかというものでした。

コミュニケーションというのは、ことに医療分野では非常に重要な部分を占める内容ですが、現在の医学部の授業や、臨床実習ではそういう項目はなく、経験によって医師が積み重ねていくスキルでありました。しかしながら、癌患者に病名を告知する、治療法を説明する、予後を説明するといったことは告知を原則とする現在の医療においてかなり頻度が多いことです。

我々は先輩の話し方を実際に聞いたり、自分の経験において試行錯誤しながら培っていくことがほとんどでしたが、やはり系統的にそれを学問として確立させることは必要だと思います。

実際そういう動きがあり、こうした講習会が全国レベルでも行われるようになりました。この中に紹介されている内容は

話を聴くスキル~言語的にも非言語的にも聴く
・アイコンタクト:相手を見ながら聞く
・沈黙:相手の話を最後までさえぎらない
・うなずき:話の合間にうなずく
・あいづち:合間に「はい」「なるほど」などと言う
・微笑み:微笑みながら聴く
・繰り返し:相手の最後の言葉を繰り返す
・要約:相手の話の要約をする

さらにがんセンターの先生方によって考えられたSHAREプロトコールとして
Supportive environment サポーティブな環境設定
How to deliver the bad news 悪い知らせの伝え方
Additional information 付加的情報
Reassurance and Emotional support 安心感と情緒的サポートの提供

などが紹介されました。

当たり前のことを回りくどく説明するようにしか聞こえませんが、こうしたことを系統的にしておき、それを実践したり、教育の場面で使うということは重要であると思います。

 医学の知識を構築することも大事ですが、こうしたコミュニケーションスキルを独りよがりな経験でかたずけてしまうことも医師としてよくないことだと反省させられました。しかしながらいかんせんこれを実行するだけの時間がなく、どうしても日常のバタバタしたなか落ち着いて患者さんとコミュニケーションをとる時間を確保するほうがまず優先される気もしました。

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癌告知について

 昔ほどではありませんが、やはりがん告知に関しては神経を使います。手術や化学治療の際にはすべて正直に話すようにしていますが、外来での問診表に「告知を望むか」という項目があり、時々「望まない」に丸がついていることがたまにあります。また、いまだに家族の方から「本人には本当のことを言わないでください」と頼まれるとこもありますが、できるだけ「本人は正直に話したほうがいいです」と説得することが多いです。
 昔は癌といえば「死病」というイメージが強かったため、告知し本人が知ってしまうとショックを受け、落ち込むのではないかと心配するようですが、実際本人に告知するとそのときは落ち込みますが、それ以後は意外とさばさばした反応で前向きに考えるかたが多いものです。
 今はインターネットでいろいろな情報が簡単に得られます。癌といっていなくても行っている検査で自分の病気を分かってしまう場合もあるようです。また、癌に対しいろいろな治療法があり、告知をすると「こんな治療はどうですか」と提案されることもあります。
 やはり、患者と医師との間に隠し事をしない、信頼する関係が望ましいとおもいますので、偽りの病名で手術したり、治療したりはうまくいかないというのが、私の持論であります。

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Drコトーっているの?

昨日泌尿器科の手術に入りました。
 泌尿器科が膀胱全摘回腸導管という手術をし、そのお手伝いに入りました。膀胱癌で膀胱を取ってしまうのですが、尿をためるスペースがないので、回腸の袋を作成し、膀胱の代わりをさせようというもので、回腸を25cm程切除し、その袋をおなかの外に出す前段階の回腸導管を作ることを行いました。
 腸を扱うのは外科が慣れているためにこの手術のときはお手伝いに入るのですが、自分の科での手術とはことなり、緊張感があります。今日は舞い上がって腸管を危うく切除しに行ってしまうところでした。恥ずかしい限りです。
 逆に、腎臓を取ったり膀胱、尿管を触る時は自分たちの手術に泌尿器科の先生に入ってもらいます。そのほか、婦人科、放射線科、皮膚科、心臓血管外科、時には整形外科の先生に入ってもらうこともあります。
 各臓器によって各科の領域があり、思いもよらないところでお手伝いをお願いしたり、逆にお手伝いに行ったりすることがあり、総合病院で各科がそろっている強みです。特に最近は大学病院などが特にそうなのですが、臓器別に外科や内科が細分化され、そこに専門の医者がいるようになっています。そのため、逆に専門的なことしかできないという医者が増えるのではと思います。それを防ぐために新研修医制度と称して2年間ですべての科を回るようにしています。
しかしながら、医者になりたてで各診療科に3か月程度研修してはたしてどのくらいのことが吸収できるのかが疑問です。おそらく後期研修で各科にはいったあと、5,6年もすればすっかり忘れるのではないかと思います。
 若い時、外科があまり細分化されていなく、心臓血管外科の領域もしなければならなかった時代を経験できたことは貴重であったとは思いますが、だからと言って心臓血管外科領域の疾患ができるかといわれれば、やっぱり専門でして慣れている人にお願いしますし、田舎で何でもしないといけない状況にあってもやっぱりしないだろうなあと思います。そういう意味では、Drコトーのような医者はちょっと現実離れしているように感じます。

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研修医指導

研修医指導 ケースアプローチ2008 畑尾正彦編集(第一三共株式会社)という本をもらいました。

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 中身は、研修医のケースレポートならびにその改善指南といったものですがこんな本が出版され出回るのはやはり、それだけ新研修医に対する教育についてどこの病院でも思考錯誤しているのであろうと思われます。
やる気に満ち溢れ、病院で患者さんや看護師に対して受けがいい研修医から、勝手に適切でない指示を出したり、自分の興味のない診療科での研修ではほとんど病棟に顔を見せなかったりと指導医を困らせる研修医まで、いろいろなケースが載っていました。
また、研修医自身がかかえている悩み「どうしたらよりよい研修ができるのか」、「自分は将来何をしたらよいのだろう」、「なんとなく先が見えない」といったことで、うつ状態になり、メンタルケアを必要とするケースがあるといったこともありました。逆に、指導医が研修医の指導にストレスを感じることも多々あるようです。

 あれこれ悩んでうちの病院を研修先に選んでくれるのは非常にありがたいことです。何といっても若い研修医がいっぱいいたほうが断然病院全体の活気があがります。われわれも指導しながら自分自分のモチベーションも上げることが可能です。将来外科を選んでくれようにとアピールすることもできます。
 そう考えると、どうしても研修医さまさまになってしまい、少々のことでも目をつむってしましまいがちです。もっと十分に時間をかけて患者を診たり、処置や手術についてほしいと思うこともありますが、あくまでも強制はせず、やる気を起こさせるよう、興味を失わないよう工夫して話すよう心がけています。
 
 また、なんといっても、人手不足の外科の中においては研修医君の存在はまさに、ねこの手も借りたい、「ねこ」以上の存在で貴重な戦力として働いてもらってます。ただし雑用が主ですが、その中で何かを学び取ってもらえたらと思っています。

 ほんとはもっといろんなことをじっくり教えたいと思いますが、いかんせんうちみたいにバタバタしている病院は手取り足取り教えてあげる時間がなく、ついつい自分でぱぱぱっとしてしまう、外科に少しでも興味がある研修医にはいろんな手技をさせてあげたいという気持ちはあるのですが、なかなかそれをじっくり教えるだけの時間がないというのが現状です。
 そんな自分は、研修医からいい指導医には見られていないんだろうなあと思ってしまいます。

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ジェネリック医薬品について

今日、医局会があり当病院の薬剤長よりジェネリック医薬品の紹介がありました。

最近、コマーシャルにも流れているので一般の人も知っている人がおおいと思いますが、作用が同じで安い薬のことで、同じ治療効果があるならできるだけ安い薬を使おうという動きで出てきている薬です。

包括医療(DPC)を採用する病院が増え、治療が同じならかかる費用が少ないほうが儲けが出るという考え方で、患者さんにとっても医療費が安くですむ、といった利点があり、これを普及させようとしています。

いわゆる「ゾロ」といわれる薬品ですが、今まではこの「にせもの」に対し、「類似品には注意しましょう」といっていたのがうってかわって「類似品を使いましょう」とかわってきたのは変な感じがします。

製薬会社はその薬を開発するのに多大な費用や手間や時間をかけてきており、同じ成分で他社とこれだけ違うんだと重箱の角をつつくような利点を宣伝し、医者に売り込んできました。最近の医療界の流れで安い後発薬剤を使うように推進されるのは、いままでことはなんだったんだということになります。

製薬会社は非常に厳しく、外資系の会社が参入してきており、製薬会社ほど統合を繰り返している企業はないと思います。あっという間に統合、吸収され、名刺の社名がころころ変わるといった製薬会社の人は多くいます。

このすさまじく変化をしている医療界において振り回されているのは医師や病院だけではないわけです。

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高齢者への医療

後期高齢者医療制度が批判を受けていますが、医療現場で高齢者の手術を依頼されることが多くなってきました。

循環器系の疾患へのステント治療の進歩、経口摂取困難な高齢者に対する胃ろう造設等による栄養管理などで、今までがんになる前に亡くなられていた方が癌になり、手術を受けるという機会が増えてきているようです。

重い心臓病を持っていたり、認知症や痴呆のある患者さんへの手術はやはりできれば避けたいのですが、どうしてもせざるを得ないことが多々あります。ステント治療を受けた方は抗凝固剤という血が止まりにくくなる薬を常用しており、緊急手術のときは血が止まりにくいのを覚悟で手術しなければならなかったり、認知症のひどい方の場合、術後、点滴やドレーンを自己抜去したり、徘徊したりするため、同意書を取って手足を縛る「抑制」を行ったりします。

患者さんを思えば、抑制はかわいそうなのですが、それが事故につながるとなると逆に患者さんにとっても病院にとっても不幸な結果を招くことがあるのでせざるを得ないのが現状です。延命処置についても、「生かす技術」が進んでいますので、人工呼吸器をつける機会も多くなっており、それによってますます医療事故が起こる機会が増えています。

こうしたなか医療を行っていると、どこまで治療をすればいいのだろうと疑問に思うことがあります。いままで、死に対して、「老衰」として自宅でみとられ、自然死として扱われていたことが、胃ろうによる栄養補給などで生かされる、さらにこういった方をみてくれる介護施設が不足しており、それに対する経済的支援も不十分となれば、今後の高齢者医療に対する医療に対し先行きが厳しいと思わざるを得ません。

メタボ対策で高齢者の医療費削減をするかわりに高齢者の癌が増え、その術後管理する機会が多くなれば、それにかかる医療費がもっと増え、メタボ対策によって医療費削減というもくろみはあまり意味がないようも思えるのですが.....。

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縫合不全の経験

この「縫合不全」という合併症はがっくり来ます。

「縫合不全」とは文字通り、「縫ったところがはずれる」という意味で、消化液が流出することを意味します。その洩れる程度により「minor leak」もしくは「major leak」といいます。
以前の外科医は、いかに自分に縫合不全が少ないかを競う感がありました。腸管吻合は、機械吻合器の普及する前にはすべて人間の手作業で行われており、学会等でも吻合の仕方でこれだけ縫合不全が少ないんだと自慢しているところがありました。

そのため各外科医や、各施設間でその少なさを競うことがありましたが、機械吻合器が出て一般的に使われるようになってからはそういうことがあまりなくなりました。

縫合不全の起こる原因として縫合の手技的な問題だけではなく、その縫合部の血行状態や緊張のかかり方などいろんな要素で起こります。これが起こると、術者は後で反省することしきりで、「あの時ああしとけばよかったのか」とかいろいろ考え、次回からはこうしてみようと自分なりに改善点をみつけ、それを生かすということを繰り返してきました。また、そういう合併症が起こっても、それに対して対処する能力や、見通しが立てられます。
それが「経験」ということであり、教科書に載っていない先輩医師の礎(いしずえ)となって、後輩に伝え続けていかれるものだと思います。

今の医療で失敗は許されない感がありますが、「『医療の限界』を読んで」のブログでも書きましたが、そもそも医療は不安定な要素が多分にあり、こうしたことが今の医療を支えています。

こういうと、一般的な医療過誤を肯定するようにとられお叱りを受けるかもしれませんが、ヒューマンエラーによる事故や合併症を肯定しているのではありませんので...、その点はお間違えのないようお願いいたします。

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医療の限界を読んで

ブログのネタに困った時は本の感想です。

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「医療の限界」小松秀樹著(新潮新書)を読みました。
虎の門病院泌尿器科の小松先生の著書です。アマゾンの評価でも両極端ですが、これは今の世間の考えを反映しているのだと思います。

小松先生はこれまで「医療崩壊」「慈恵医大青戸病院事件」などの著書があり、これらによって、現場医療の崩壊の危機について警鐘を鳴らしておられます。日本人の死生観の消失、報道の在り方、リスクの認識、司法の医療に対する知識の浅はかさ、コストとクオリティを無視した建前だけの行政への批判などがもりこまれた著書でした。

書いてある内容は、我々現場の医師がつねづね思っていることであり、それを論理的に、さらに日本、欧米との違いを示した内容ですが、日本では特に危機感を持っている医療関係者と医療不信を抱く一般の人との隔たりがあります。

一般病院で働く医師にとって、今の勤務状況からすると金銭面や労働条件で明らかに無理強いがされています。しかしながらこれは以前から当たり前に医療現場に行われていることであって、使命感ややりがいによって医師が踏みとどまって医療を行っていた経緯があります。いままでは開業は、金銭面に豊かさを求めたり、時間的ゆとりを持てたりする目的で行われていました。

しかしながら、これが今になって崩れつつあるのは、さまざまな報道や医療裁判によって、医療に対する不信が強まり、我慢して仕事をしていた勤務医が逃げ道として開業を行うようになり、さらに一般病院の勤務状況が悪化し、そこで働く勤務医に負担がかかり、「一斉辞職」といった状況に陥っています。

現場医師の悲鳴を小松先生が代弁し、これに対しては世間一般の人から非難を受けることもあるでしょう。しかしながら、ようやくメディアもその医療の危機について報道することも多くなりましたので、一般の人の認識も変わってくるかもしれません。

医師になって思ったのは、「完全な医療」というのはありえず、かなり不安定ななか、医療を行っており、常にリスクを伴うということです。一般の人からは、そのなかで、確実にこなすのが医療のプロだとお叱りを受けるのでしょうが、受ける側と行う側の軋轢が少しでも軽減してくれればと考えます。

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ムンテラとインフォームドコンセント

ムンテラはドイツ語でムンド(口)・テラピー(治療)、直訳すると口でする治療ですが、広い意味で医療関係者間で、患者、家族への説明という意味で使われていました。
このムンテラという言葉はいかにも、医師の言葉のままに治療をすすめるという意味あいが込められているようで、以前の医療の体質を表しているようです。患者側の決定権や意思が反映されていない用語であるといえます。
少し前までは、当たり前のように医療関係者の間でこの「ムンテラ」という言葉が使われていましたが、現在では、インフォームド・コンセント(説明と同意)という言葉に変わってきています。

逆に、いまはこの同意を得るという作業があまりにも煩雑になってきています。何をするのも同意書をとる必要があり、書類作成やインフォームドコンセントを行う時間の確保など、それだけでかなりの労力を必要とします。書類を渡しサインしてもらうという作業は日常茶飯事であり、患者側からすれば医療行為を受けるのにいろんな書類を書かされ、あたかもさまざまな保険の契約をしていると思われているでしょう。

この契約を取る際には、起こりうるすべての合併症を説明しておかないと、あとで「そんなことは聞いていなかった」といわれると困るので事細かに説明する必要があります。さらに、その説明よって、患者さんを逆に不安に陥れることもあります。

しかしながらこれはやはり「自分を守るため」の行為でもあり、何も説明されず、治療を行い、一大事が起こった際の防波堤であると考えれば、このいろいろな「手間」はいたしかたないと思います。
インフォームド・コンセントの約束をしていて、検査や手術がおして、患者さんを何時間も待たせるといったことは約束を第一に考えるビジネスマンにとっては失格でしょうが、外科医にとっては一つ一つのことを着実に行い、「約束を果たす」ことが第一で、患者さんにはさらに迷惑をかけていることも多々あります。

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ひさしぶりに大分に来ています

米良有料道路のあたりをとおってきたのですが、かなりの新興住宅地で分譲住宅が並んでおり、その道沿いには新しくできた病院や病院の広告看板がたくさん立っていました。
大分大学は、以前大分医科大学といい、一県にひとつにもうけられた新設の医科大学です。何を隠そう私の出身大学で、大学院も含め10年間在籍しておりました。

新規開業の病院名を見ると聞いたことのある名前があり、大分大学の卒業生が開業したのだろうと思われます。
大分市内やその近郊は大学医局を辞めた医師が多く開業しているようで新規に開業するには厳しいようです。

大勢開業したおかげで、大学医局には在籍医師が少なくなり、公的病院に派遣が難しくなっています。
さらに、追い打ちをかけるように新研修医制度で大学医局に入局者が少なくなり、地方病院に回せる医師がいなくなり、大学に引き揚げている状況です。

ですから決して医師が少ないわけではなく、開業や中央の病院に集中している医師が多いために地方病院で勤務する医師が相対的に少なくなっています。
医学部定員をふやしたり、地方枠を設けたりしても単純に解消される問題ではなさそうです。

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昨夜当直でした

日曜の当直は、開業の先生が休みなので、当番医はありますが、比較的忙しいことが多いです。しかしながら昨日は患者さんは少なかったです。
救急車は相変わらずですが、飛び込みの患者さんがぐっと減りました。

理由はおそらく、金曜日にNHKで放送されたこと、あまりにも飛び込みの患者さんが多く、医師の労働が過重となっている現状が報道されたことです。それによりたいしたことがなければうちの救急外来を受診するのを控えて様子を見ようを思われたのだと思います。

もうひとつは、紹介状を持たない飛び込みの場合、初診料が引き上げられたことです。これは当院における「コンビニ受診」を減らす目的です。薬の処方や飲み方がわからないからといって夜中時間外に受診されたりするのを防ぐものです。功を奏してかはわかりませんが、昨夜0時以降は外科系は一回も呼ばれませんでした。

今日は手術は午後から1件ありますが、やはり同じ当直明けでも、ほとんど眠れずに手術に入るのと、十分に眠れて入るのはおおちがいです。

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救急外来にて

昨夜、そけいヘルニア陥頓で診てくれと言われ、救急外来に呼ばれました。76歳女性で、脱出しているのは腸管ではなさそうでしたが、整復不能で、緊急手術をすることにしました。呼び出しがあったとき、家に帰る途中であわててきたので、白衣も着ずジーパンとシャツで診察してましたが、患者家族でなさそうな私服を着た若い女性が何もせず立っていたので、「なんだろう」と思っていましたが、バタバタして手術の準備をしていたので、そのまま手術室に向かいました。

手術は、特に問題なく終わりましたが、後で「あの若い女性の人誰だったの?」ときくと「NHKの取材の人で明日の夕方テレビで放送されるそうだよ」と手術室の看護師さんが教えてくれました。

そういえば片手にビデオカメラを持っていたような気がする。

おそらく地方ニュースで救急医療の現場とか何とかで放送されるのでしょうが、そうであるなら早めに言ってほしいです。汚い恰好で診察をしたので「なんてずぼらな医者なんだろう」と思われるに違いありません。

テレビカメラにこの光景が映っていないことを祈ります。

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エビデンス VS 先輩からの教え

臨床の現場で最近「エビデンス」とか「EBM」といった言葉が飛び交っています。長年、慣例的に行われていた医療手技や、病棟管理等において、データーをもとにその有用性を検討し、その行為が理にかなうかどうかということで、より質の高い医療を展開しようという動きです。

たとえば、病棟で回診時に手術創のガーゼ交換するのですが、エビデンスによれば、48時間以上たてば傷口は完全に密封してしまうので、毎日1回消毒していたのが、必要ない、さらにガーゼも当てる必要がない、といったものです。手術後2日たてば特別な理由がなければ、ガーゼをはずしてしまい、抜糸までむき出しの状態にしています。最近、当科でもそれを採用し、長年行ってきた消毒、ガーゼで覆うという作業を中止し、回診時は創の観察のみにしました。確かに楽ですが、これでいいのかなと長年の習慣を変えることに戸惑いはありましたが、なれればどうということはなく、患者さんからのクレームもないようです。

そのほか、手術時に創を消毒せず、生理食塩水で洗浄するようにしたことや、手術時に滅菌の水で3回ブラシをかけ、手を洗っていたのを、水道水で1回のみ洗い、アルコールをすりこむようにしたり、いろいろな「慣習」がこの「エビデンス」にもとずいて変えられています。

しかしながら、先輩から怒られながら受け継がれてきたものやいままでの慣例的に行われてきたことがことごとく変えられていくことにたいして、少しさみしさも感じます。先輩の痛い目にあった経験にもとずく慣習はこの「エビデンス」という言葉で一蹴される、後輩に、いままで習ってきたことや自分の経験から「これはこうするように」と説明しても、「それにはエビデンスがあるんですか?」といわれるこのが多くなるのではないかという気がしてならず、外科特有の上下関係が悪い意味で崩れるかもと思うのは自分も年をとってきた証拠なのかもしれません。

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外来での外科医

外来は苦手です。
別に、人と話すことは苦痛ではないのですが、待っている人のことを考えると、今話している人を早く切り上げなければならない、でも、今まで待ってくれてくれたのだからもう少し丁寧な診察にしたと考え出すと、気持ちばかりが焦って、思うように患者がさばけないということがよくあります。

長年医者をしているくせに、と思われるかもしれませんが、特に電子カルテになってからは、患者さんの状態の所見記載のみならず、さまざまなことが付加的に必要となってきました。病名記載、外来処置のチェック、外来化学療法のスケジュールの設定、注射実施済入力、外来管理指導料のチェック、検査オーダーの予約・登録、などなどコンピューター入力を必要とする項目が一人の患者さんでたくさんあります。

そのため、外来診療において患者さんの顔をほとんど見ずに、ずっとコンピューターの画面ばかり見ているということもあるわけです。もうちょっと時間をかけて患者さんと会話する時間をとりたいのですが、そうするとその日にさばききらないといけない患者さんをさばけなくなってしまいます。

ゆとりある、充実した外来診療をするために」、それは外来患者さんの数を減らすことですが、そのためには落ち着いている患者さんを他院に回さなければなりません。そのことを説明し、分かってもらおうとしますが、患者さんからすれば自分は追い出されるという感じになるみたいで、嫌がるひともいますが、それでも涙をのんで説明し分かってもらい、紹介状を書きます。

「かかりつけ医を持つこと、なにかあったら紹介してもらうように」と説明しますが、それでもなかなか分かってもらえない人もおり、そのことでまた外来診療時間が延長し、時間がなくなってしまうというジレンマに最近陥っています。

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腹腔鏡下手術について

昨日、腹腔鏡下胆嚢摘出術(ラパコレ)をしました。

久しぶりにしたので、なかなか手間取りましたが、なんとかうまくできました。術者、助手、内視鏡係の3人で手術をするのですが、内視鏡を担当したのが研修医の先生だったので、手取り足取りしながらの手術でした。内視鏡手術は視野確保が重要な手術なので、内視鏡操作が重要の役割を担います。術者の思惑と違う視野を取られると手術が進みません。また、助手の先生も把持した胆嚢を剥離しやすように展開する技術がいるので、3人のチームワークが非常に重要です。

この手術は、かれこれ20年程前よりされている手術で、始められるや否や、全国的に爆発的に普及していきました。それまでの開腹手術とは違い、術後の痛みが少ない、傷が目立たない、社会復帰が早いといった利点があり、症例がよくって、手技になれると1時間もかからずできるようになります。

ラパコレの技術は、どこの病院でも遜色ないくらいに普及しましたが、それに続く胃や大腸の手術はなかなか普及しません。これは、技術的に胆嚢摘除に比べ難しいというのがありますが、それに加え、①開腹術とのメリットの差がまだはっきりしていない。②まだ、方法論が確立していない、③合併症が重篤(社会的に問題がおこる)ということが挙げられます。

物事を始めるのには、ある程度試行錯誤しながらする部分もあって、教科書に載っていないことやまた器具の問題等もあります。また、③の腹腔鏡下手術の報道もそれに歯止めをかけています。もちろん、あってならないことなのですが、とくにあまりなれていないところでされるとたたかれるということがあるわけです。

いい手技であることはわかるのですが、開腹術という手段があるのにあえて腹腔鏡で行い、結果が悪いとたたかれる、こういうリスクを負ってまでという意識もあります。また、時間も開腹術に比べ1.5~2倍ほど時間もかかり、年をとった先生などなかなか忍耐が続かないようです。
しかしながら、こういう苦労をするのも全ては患者さんのため、より情熱をもって学び、習得に努力する、そういう意識が必要です。

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抗癌剤治療について

消化器が専門(乳癌も見ます)ですが、外来化学療法というのが最近一般的に行われるようになりました。外来化学療法室というのがあって1~3週おきに通院してもらい、抗癌剤の点滴をするといったもので、消化器癌に対し、いろいろな治療薬が出てきており、生存期間延長に寄与しています。

普段は日常生活ができますが、点滴をうった数日はやはりきついみたいで、あっという間につぎの点滴日が来るそうで、すごく病院に来るのが億劫になるということですが、ずっと病院に入院し、点滴をすることに比べればましです。

切除できない人や切除後再発の方が中心になりますので、これをゼロにするのはいまだにかなり難しいのが現状です。乳癌の方の場合は再発しても、結構長生きする人もおおいので、治療期間が長期にわたり、精神的にも参ってしまう人もいます。ときどき、休薬期間を設けるなどして精神的に落ち込まないように図っています。

今日も外来で化学療法を行っている患者さんと話してましたが、もともと漁師さんでほとんど本など読んだことのない患者さんが、化学治療を始めるようになって、癌関連の本をたくさん読み、講演会などにも出席したり精力的に勉強されているのには驚きです。

よく癌関連の本に書いてあるのは「抗癌剤は効かないのでやっても意味がない」と書かれているものが多いようで、そういったものがよく売れているようです。

わからなくはないのですが、患者心理を利用し、売れるように書いている感じもあります。抗癌剤を使ってこれだけ弊害がある、抗癌剤の変わりにこんな治療をしてこんなに良くなったみたいなことが書いていて、患者さんに本で読んだんだけどこんな治療はどうかとよく相談されます。

我々は保険診療をしている身なので、あまりわからないと答えますが、抗癌剤治療が明らかに生存期間に寄与しているという患者さんには今の治療に集中してもらうように話します。しかしながら何をやってもよくならないという人には特にとめたりはせず、勉強して、やってみたいという治療をいわれれば、紹介状を書くこともよくあり、それが本人のよりどころになるならむしろすすめたりすることもあります。癌治療の限界で、それ以上の治療は無意味であるといった場合はしようがありませんが、抗癌剤治療をまったく否定し、そのほかの保険診療外の治療を進める書はあまり信用できないと思います。

今日診察した最近勉強家に転進した元漁師さんにも、「自分のためになるとこだけ吸収するようにし、本に流されないようにしてください」とお話しました。

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内視鏡検査をする外科医

4月より2人いた消化器内科医が一人いなくなり、もう一人も8月まででいなくなり、以後、消化器内科医がいなくなるという事態になってしまいそうです。普通はまず内科医が見て、手術が必要になると外科医に回ってきます。内科医がいなくなるとすべて内科的疾患も外科医がまず見ないといけなくなり、さらに今まで、内科医と半々でしていた内視鏡検査も全部外科医がしないといけなくなります。

内視鏡検査、ならびに治療というのは消化器内科医にとって一番の仕事であり、外科医が片手間にすることではありません。しかしながらそうせざるを得ないのは県内消化器内科医不足のためにいたしかたありません。

内視鏡検査ならびに治療は比較的私は好きな分野なので外科医であっても空いた時間にすることはそう苦痛ではありませんが、それが手術や外来の本来自分の仕事にしわ寄せが来るのはあまり好ましくはありません。

検査や内科疾患はできるだけ開業の先生に診てもらうように外来で指導していますが、中には納得いかない患者さんもいると思います。また、開業の先生にも迷惑をかけることになるでしょう。

今後少ない人数でどうやりくりしていくか?うちの病院のみならずありとあらゆる公的地方病院のかかえている問題です。

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麻酔科医年収3500万円!

大阪府泉佐野市の市立泉佐野病院で、麻酔科医が激務を理由に一斉に退職との記事がありました。病院側が年収を3500万円で後任の麻酔科医を募集しているとのことです。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~iyatsue/3500masuika.html
何を隠そうわが病院でも、麻酔科医が5人一斉退職で話題となりました。現在も実働3人の麻酔科医勤務で必ずしももとの環境に戻ったわけではありません。
ここで問題となるのは「麻酔科医」という立場が病院内でどういうものなのかということです。麻酔科の先生は文字通り手術の麻酔を担当するのですが、患者さんに接するのは、術前の診察、手術後の診察はいたしますが、もっぱら手術室がほとんどです。とはいえ、手術室では患者さんは手術室では麻酔がかかっていますから、麻酔科の先生の顔なんて覚えていることは少ないでしょう。患者さんから感謝の言葉をいただくこともなく、麻酔はうまくいって当たり前のところがありますから、周りのスタッフ(外科系の医師、看護師など)からも絶賛されることもありません。私も麻酔研修中や、麻酔科医不在の時、外科医が交代で麻酔をかけてましたので、よくわかりますが、麻酔導入、覚醒のときは忙しいですが、手術が始まると、バイタル(脈拍、血圧など)をチェックし、麻酔器で麻酔深度を調節するくらいであまり忙しくなくなります。その時は外科医が2,3人であーだこーだ言いながら手術しているのをみると、ひとりだけ取り残された感じになることがあります。とはいえ患者のモニタリング、術野のチェックなどしながら、めだたないところでかなりの気配りをしていますが、いかんせん評価されることがあまりありません。いわゆる「縁の下の力持ち」的な存在なのです。
患者の全身を診るといったことで優秀な先生は麻酔科医には多いのですが、評価がそれ相応ではなく、むしろ激務を強いられる立場であることが問題なのです。病院側としても麻酔科がいなくなるような事態になって初めてことの深刻さに気づき、それに対してお金で何とかしようというのはどうかと思います。年収の額については「なぜ麻酔科だけ」と異論もあるでしょうが、もう少し麻酔科医の社会的地位向上のために、病院のみならず麻酔科学会等でも対策を講じる時期に来ているのではないでしょうか。

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スーパードクターKではないけれど

外科医には「神の手(ゴッドハンド)」と呼ばれる人がいます。よくテレビでもてはやされてていますが、その人たちは、その手術(手技)に精通したひとで、その道で他の医者も認める実力をもった医者です。
その人たちは、別に手先が器用というだけではありません。その分野の症例を数多くこなし、勉強により知識を増やし、また試行錯誤を繰り返し、新しい方法を確立したという医者であると思います。
この人たちは、最初からゴッドハンドではなかったわけで、症例の多い環境に身を置き、多少なりともの失敗が許された時代に磨かれたものであると思います。
よって、今の時代、そんな実験的なことは許されないし、なかなか、それを試みさせてくれる施設も限られます。
ですから、こういう人たちがうまれて、それを広くみんなの医者に還元するといった方法で、その手技というものが確立していくのだと思います。だれもがしても安全にでき、結果も一律である、というものが素晴らしい手技であると考えられ、限られた人にしかできない手技はいい手技ではありません。
そういう意味で、ゴッドハンドの必要のない医療が真の医療だと思います。そうすれば、患者もどこの病院に行っても同じ医療が受けられるわけです。

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当直にて

今日は当直です。

 昼間はたくさんいろんな医者が働いているので、何も感じないですが、夜ともなると当直医5人ほどでこの大きな病院をとりしきるため、病院内ひっそりとした感じで医者としての年数を重ねても多少なりとも不安な気持ちになります。
うちの病院の救急外来は文字通り2次、3次救急を担っておりますが、こんな田舎の病院では風邪をひいたとか、熱がある、薬を処方してくれといった方も結構いらっしゃいます。1次救急をできるだけ開業医もしくは他の1次救急病院に委託したいのですが、患者さんの中には理解が少なく、病院だから受診してみるのは当然だろうと思ってらっしゃる方が多いです。確かに夜中受診し、診ずに追い返すということはしませんが、救急の患者を優先したりするため、ずいぶん待たせることが多く、また、深夜に頻回に呼ばれたりして、ほとんど寝れないと翌日の仕事に差しつかえたりします。
 医療事故というのは往々にしてこういう手薄でばたばたしている時に起こりがちです。普段、あまり忙しくはないときは十分に観察し、本人家族に説明する時間もあるのですが、忙しくつかれきっている時はなかなか頭が回りません。医師の負担を軽減するためにもできるだけ、まずは開業の先生に診ていただき、さらに必要があればきていただくとしていただくとありがたいです。
 地方病院の医師が不足し、病院が閉鎖に追い込まれる可能性もあります。そうなると一番困るのは地域住民です。昔は公的病院がつぶれるなんて思っても見ませんでしたが、最近ではそんなことも十分にありうると危惧しております。銀行もひと昔まえまでつぶれることなんて考えられませんでしたが、いまや統合をくりかえしやっと存続してる状況です。医療界もそうならないよう前述したことを切にお願いしたく存じます。

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医局について

医局制度が崩壊しつつあります。
大学医局に属していなければ、勤務医にはなれず、医局の歯車から外れれば開業せざるを得ない、そういった理由で、大学医局(教授)に将棋のこまのように扱われながらそれでも医局を辞めず、我慢していた時代は終わったようです。

医局員の行きたくない病院は大学の医局人事からは外れ、撤退の候補になります。それだけ医局の力は減退し、地方病院では医局よりの派遣医者が減少している、といった状況になっております。勤務医ともなれば、当直という業務があり、時間外に、自分の専門外の疾患まで見ないといけないことがあります。われわれが大学医局に所属しているのは、自分の能力を高めるため、資格を取るためがひとつの理由ですが、医局の勢力争いのための駒扱いに嫌気がさし、さらに医師の少ない病院に派遣され、リスクばかり多い中で夜中も馬車馬のように働かされ、給料も公的病院の場合大してもらえず、結局、医局を辞めて人間としてのQOLを保つほうがいいと考える人が増えています。さすれば、ますます医局員が減り残されたものの仕事量が増しますので、地方病院への派遣を減らし、医局内の医者のQOLを保つようにしようとする、この悪しき循環から抜け出すよい手立てはないものでしょうか?

もともと大学の医局制度自体に問題があって、新研修医制度が始まったということもありますが、医局の崩壊は想定内であったにせよ、地方病院のこれほどまでの疲弊は予想されなかったのでしょうか?さらに小手先だけで対処しようとする厚生労働省には嫌気がさします。抜本的改革が今こそ必要で、国民が安心して医療を受けられる世の中にするため、おおなたを振るってほしいものです。

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「チーム・バチスタの栄光」をよんで

原作はなかなか面白かったです。
映画はいまいちという評価のようですが。
原作は医者ならではの描写ではないでしょうか。

注目すべきは犯人探しというより、リスクマネージメントのあり方です。リスクマネージャーとは、医療過誤がなかったか、それに対してどう対処したらいいのかを検討することです。
内容は誤薬、誤投、患者転落、検査や手術などの医療行為の手技的問題、患者間とのトラブルなどさまざまです。
ヒューマンエラーというのはゼロになることはありませんが、それに対する防止策をたて、その確率を減らす努力をするというのはどこの病院でも最近は行われていることです。医療行為を行うと突発的に予期せぬことが起こるとこはいたしかたないわけで、それに対してインフォームドコンセントを行うことが義務づけられています。そのリスクが十分に説明され、それを理解してもらい、なおかつ信頼してもらうことにより結果的に悪い結果になろうとも問題になることはさけられるかもしれませんが、そうでない場合もあります。さらに小さいことでも大きくならないうちに未然に防ぐ、そういった努力も必要で、なおかつ術前の説明責任をはたす、といった何重もの防御策を立てないといけない時代になっています。医療を受ける側にとっては慎重にしてくれるのでいいのではと思うかもしれませんが、そのことによりリスクの高いものは避け、医療行為自体が萎縮したものになることになるのではとも思います。

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医師の評価

“いい医者”のいうのはどういう医者でしょう?

患者が評価する医師の評価と、同僚の医者やその他医療関係者の評価とは明きからに違いがあります。いわゆる“いい医者”を一般の人がさす場合、その医者の人格、医療に対する姿勢、医者としての技量、患者に対する接し方、説明の上手さ...、といったところでしょうか。この中のいくつかを満たしていれば“いい医者”といわれるのでしょうが、最近はどうもそれだけではなさそうです。インターネットでその病院の医師の資格が表示されている、さらに雑誌やブログでの治療実績の公表などで客観的に評価される時代になってきました。それ自体はいいことだと思いますし、患者が病院や医者を選ぶ時代ですから、その判断材料として利用することは悪くないと思います。しかしながら、最終的には、“医師と患者の信頼関係”が一番ではないかとつくづく思います。医者も信頼されていれば、その患者のために持てる力を十分に発揮しようと思いますし、自分に手が負えなくなれば、より良い治療できる病院に早めに紹介したりと患者にとってはよいことです。手術件数が多い病院がその人にとっていい病院なのかといわれれば、?であるといわざるを得ません。そういう有名な病院でも訴訟などのトラブルも少なからずあるわけです。結局、病院内で医療をしているのはその中で働く医師なわけですし、手術も施設がするわけではなく、各個人の医師の手作業で成り立っているわけです。確かに有名な病院が症例に対してなれているのは間違いありませんが、本質は医師と患者の信頼関係が保てれば、問題ないのではと考えるこのごろです。そういう姿勢で患者と向き合えるんであれば、患者が別の病院にいきたいといってもなんら支障はないように思います。

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あわただしい毎日

緊急手術続きで、立て続けにICU(集中治療室)に患者が入るとそれだけで手一杯になってしまいます。人工呼吸器管理やCHDF(持続血液透析)などの医療機器のついた患者はそれだけでしょっちゅう呼ばれますし、その他もろもろのことがおろそかになってしまいがちです。こういう忙しい時期に他のことで神経が行かなくなると、医療事故の原因となってしまいがちです。とくに患者、家族への配慮が欠けることによって、そのあとのフォローができなくなる(説明責任等)ことがさらに悲劇を招きます。外科医のQOLが悪く、なおかつ訴訟が多いというのはその医師個人の問題ではなく、ひとつの社会問題であろうと思います。解決策としては単に医師が増えてくれればいいのですが、なかなか難しいみたいです。とすれば、単純な書類作成や、コンピューター入力、サマリー、など事務的な仕事や、化学治療の更新など医者じゃなくてもいい仕事をへらしてくれればいいのですが、それもまた安全管理等で医者がしなければならないとの決まりがあり減らない状況です。医療事故を起こさないよう安全管理のため単純作業であっても医者がしないといけない規則となり、また、そのことにより医者の業務が増え、医療事故を引き起こすリスクが増えるのでは本末転倒ではないでしょうか。

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緊急手術がありました

夕方、S状結腸憩室穿孔で腹膜炎の患者の手術をしました。当初、破れて間もないんではとのことでしたが、数日たっているようでした。他院で抗生剤投与で様子を見ていたようで、幸い小腸が穿孔したS状結腸をおおいかぶさるように癒着していたので、腹腔内にそんなには汚染された液体が広がっておらず不幸中の幸いでした。

CTでも早めに取っていれば一発でしたのに。

やはり、田舎だと診断→治療が遅れがちになってしまうことを痛感します。
難しい診断の場合は誰がみてもわかりませんが、あきらかにそれとわかるものを診断できない、もしくはそれにたどり着く検査ができていないというのは、単に個人の医者のモチベーションの問題ではなく、社会的な要素がたぶんにあるものだと実感します。実際疑っていてもそれに対するアプローチが設備の問題等でできなかったり、それをするために遠方に出向く必要があるなど、可能性があるが、もしかしたら大丈夫かもとの意識がでてしまうのはある程度いたしかたないことなのかもしれません。医者とてなんでもなければいいのにと思いますし、疑って実際検査してみたらなんでもなかったというとこともたぶんにあります。しかしながら、環境でそのactivityがさがったり、ことなかれで、他の医者に回すといった状況があると、それは問題であると思います。最近の研修医制度のため地方の勤務医(開業医ではなく)の減少、また新卒医師の気質、きつい診療科には入局せず、楽な勤務の診療かを選ぶといったことでさらに拍車をかけているようです。医者は患者のためにあるときには自分を犠牲にし全力を尽くす、といった意思を持つことは時代遅れなのかもしれません。しかしながら、そういった医者を減らす原因となったものは何でも訴える患者自身、とりわけそれを取り巻く環境、医療報道である気がしてなりません。一生懸命にしようとしている医師が逆にそういったリスクを背負わされているのは腑に落ちない感じがします。

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