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お気に入りの本

  • 畑村 洋太郎: 失敗学のすすめ

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心と体

ここ4年ほどのことに思うこと

4年ほどまえ、勝間和代さんの書を福島の腹腔鏡ラボに研修に行った時に移動時間に読んで以来、自分の中で随分変わった気がします。読んだのは「新・知的生産術」ですが、共感するところが多く、いろいろなことについて勧めがあり、今私が物事を始める原動力となっています。

始めたのは読書、インデックス投資、ブログ、朝活、英語、自転車などです。

とくに読書は自分の活動をかなり広げました。

本はすごく読みました。投資も自分には無縁のものだと思っていましたが、実際始めてみると世界観が変わりました。今この株価上昇で結構恩恵を受けています。

人生を豊かにする、これは仕事の上でも、プライベートでも同様です。かなり広がりを持てています。

そういう意味で勝間さんにはとても感謝しています。

まずは踏み出すこと、今のいる現状に甘んじないこと、新しいことに飛び込んでいくこと。

今回の転勤もある意味そのおかげかもしれません。

効率が10倍アップする新・知的生産術―自分をグーグル化する方法
効率が10倍アップする新・知的生産術―自分をグーグル化する方法

送別会第1弾が終わりました

先日、送別会の第1回が無事終了しました。

長年見送るだけの立場だったので、主役になるのはとても緊張しました。

私のためにたくさんの人に集まってもらい、みなさんから温かい言葉や別れ惜しむ言葉をいただいたりととても恐縮しました。

当然、挨拶というのをさせられるわけですが、お酒も結構入った状態で、何言っているかわからない状態になるのではと思い、事前に下書きをパソコンで打っておき、上着の胸ポケットに入れておきました。

案の定、半ばフラフラの状態でしたが、おかげで自分の言いたいことをある程度スラスラ言えたのではないかと思います。

学会発表もそうですが、事前に言うことをきちんと原稿にしておき、それを何度も反芻することはとても大事なことです。筋道を立てて喋らないと聞いている人が何が言いたいのかよく理解されずに終わってしまいます。

学会発表のmethodが役に立ったようで、みなさん一様に頷いてくれた気がします。

まだまだ送別会は続きます。何度も手直しをして、スピーチ上手になりそうです。

引越しの準備に大わらわ

病院の残務整理、引越しの手続き、荷造りに追われる毎日です。ぼちぼち送別会も予定されていて、忙しさにさらに拍車がかかりそうです。来週には福岡で日本腹部救急学会の発表があります。スキマ時間を見つけて準備していっています。

荷造りをしていると、11年以上居続けた住居や病院に様々なものがはびっこっていたことが分かります。そうしたものを廃棄したり、整理するとなんだが身も心も整理された気がします。

やっぱり長く同じ場所に居続けるのはよくない、長く居住する場所を見つけるはもう少し後になって考えるべきだと思います。

異動になります

この度、異動になることが決まりました。

都会の症例数の多いhigh volume centerだったので、後ろ髪を引かれる思いだったのですが、異動することに決めました。

自分のスキルアップのため更なる飛躍をしたいと考えています。

異動のいろいろな手続きがあるため、今後あまりブログに投稿するのが難しくなるかもしれません。

また、状況が変わりますので、このブログを継続するかどうか、考えています。

また何らかの形でブログ投稿は行いたいとは思いますが、まだ決めてません。

年齢を重ねるということ

先日、内視鏡検査に来たおじいさんが、若い看護師さんから内視鏡を行う前に「ズボンを緩めてください」というと、ベルトを外し、ズボンを脱ぎ始めたので、看護師さんは慌てて、「ベルトを緩めるだけでいいですよー」と、ズボンを脱いでいるお年寄りを制止しました。

思わず噴き出し、持っていた内視鏡を落としそうになりましたが、病院にいるといろんなお年寄りとかかわり合いがあります。それぞれ若い時はバリバリ働いて、日本の高度成長に貢献し、家庭を支え、子供を育てていたんだろうなと思いますが、今の姿は、聞き分けのない子供といった状態であったり、看護師さんのお尻を触ったりして、困らせたりする方もいらっしゃいます。もちろん年齢の割にしっかりされている方もいらっしゃいますが、病気を抱えての方の場合、日常生活に何らかの手助けが必要な方が多いです。

そんなお年寄りを前にして、我々若い者はやはり敬意を持って接する必要があると思います。よく若い医師や看護師でで「おじいちゃん、おばあちゃん」といって、敬語を使わず接する人を見かけますが、お年寄りにとってはあまりいい気はしないような気がします。心の中で「この若造が!」と思っているかもしれません。

年を重ねていくと行動や記憶がおぼつかないことはしょうがないことですが、若い人に比べて人生における「経験」というものが圧倒的にあります。いろいろな人生の苦難を乗り越えてきただけの知恵や行動力があったはずです。そんな風に考えると対等な言葉をそんな人々に使おうとはしないはずです。

その人生の先輩の方々に敬意を払い、丁寧に接する、自分たちも間違いなく年齢を重ね、いろいろな機能が衰えていくわけですから、そうした時に少なくともいい足跡を残し、若い人たちの指南者になれれば、今の時期を精いっぱい生き、人のためになることをたくさんする、そうして人生の終焉を迎えたときには若い人から敬意をもって接せられたいと思います。

栄養療法の難しさ

栄養科でNST(Nutrition support team)を率いて活動しています。

週1回病院内の栄養に問題のある患者さんのところにチームを組んで回診をします。医師、栄養士、看護師、薬剤師で構成され、それぞれの職種を超えて患者状態をサポートすべく、いろいろなアドバイスを行います。

以前にも話題にしましたが、医師はこの「栄養学」というものを専門的に大学で学びません。また、これまであまり重要視されていませんでしたので、もっぱら栄養士や看護師にまかせっきりで、言われた通りに指示を出したりしていました。よって、知識が乏しく、あまり熱心に携わるとこはあまりありませんでした。

しかしながら近年この「栄養学」がとても注目されるようになってきました。栄養状態を改善することにより、術後の経過や治療に反映され、入院期間が短縮され、医療費がかからなくなるという利点があるからです。

いろいろ合併症を引き起こしたり、術後の経過が思わしくなかったりというのは医療側の要因だけではなく、患者側の要因も多大にあり、それを正すことによりより治療効果を高めようという狙いがあります。しかしながら、その栄養状態を上げ、免疫力を上げるという活動はなかなか目に見えて効果の表れることではありません。

栄養価の高い食事を勧めても摂取量が増えなかったり、量ははいっても吸収が悪かったり、やったことが実際どう反映されいるのか目に見えなかったりと、なかなか難しいものです。

大規模なランダム化した前向き試験などを行って、栄養療法の効果がぽつぽつと報告されています。そんなデーターをみてあーだこーだしながら摂取できる栄養剤やその手段を模索していく。栄養状態の悪い実際の患者さんにその選択肢はあまりなく、その少ない選択肢の中から選択しないといけない。やってみると大変なことがほとんどを占めます。

それでもほとんど弱って食べれなかった患者さんが食べれるようになりみるみるうちに元気になっていく、そうした患者さんが少ないながらもいてくれることがNST活動をしていく励みになります。

人間の弱さ

いま、「スタンフォードの自分を変える教室」を読んでいますが、世界的ベストセラーになっているようです。ダイエットできなかったり、飲酒が止めれなかったり、禁煙できなかったりといった行動に対し、どうふるまえばいいのかという講演をもとにしての本です。

この本が売れるのは、いろいろ皆さん悩みがあるのでしょう。そんな自分に嫌気がさし、やけになってしまうと、ダイエットでリバウンドしたり、余計ドツボになったりとよくありません。そんなときは「人間なんだからしょうがない」と自分を許すことが大切と心理学の立場から主張しています。
ただ、ダイエットの本や悪い習慣を断ち切る本が多数出ており、今までのスタディをもとにして理論的に書いてはいるものの、この本もそれらの本とあまり内容がたがわないような気がします。次から次にこんな本が出てベストセラーになるんですから、世の中にはたくさんの「弱い人間」がいて、悩んでいるんだろうなあと考えると自分も一緒なんだと逆に勇気が出てきます。
タバコをやめれない医師、患者にやめるようにいうのもそんな人間の弱さを物語っているような気がします。
ちなみに私は10年前にタバコをやめました。おかげで鎖から解き放たれたようです。

蕁麻疹に悩まされています

ここ1週間ほど突発的に背中や肩、腹部、内モモに掻痒出現し、膨疹を形成します。いわゆる「蕁麻疹(じんましん)」です。早速皮膚科の先生に病状を説明し、処方してもらいました。

夜寝れないのももちろんですが、手術や処置をしているとき突然背中が痒くなるのは業務に差し支えます。ステロイド入の軟膏を塗ったりしますが、突発的に起こるためその度に持ち歩いて塗るわけにも行きません。

抗アレルギー剤を飲んでどうやらおさまったようです。さすがにピタッと止まりました。

かゆみというのは、患者さんにとってはとても苦痛ですが、医師側からするとあまり重大視しないのが常です。黄疸や血液透析に伴う掻痒症はなかなか改善が難しく、投薬してもあまり効果がないことも多いです。また、高齢者による白癬症もつい皮膚科のコンサルトが出来る時まで経過観察してしまいがちです。

かゆみに対しもっと瞬時に対応することを痛感しました。我が身を持って知るとは恥ずかしい限りです。

演じるということ

先日DVDで「鈴木先生」を観ました。

テレビドラマを観ることはほとんどないのですが、なんとなくレンタルビデオ屋に行ったときに1巻を借りて観たところ、とても面白く、あっという間に5巻すべて見てしまいました。

映画化もされるということで、時間があったら観に行ってみたいと思います。

さて、この「鈴木先生」何が良かったかというと、教師という立場で生徒を客観的に観察し、クラス内で実験をするという考え方です。その中でその実験の検証をし、理想のクラスを作り上げるといったものです。一見、不謹慎な考え方のように見えますが、各個人の生徒の意見や考え方を尊重し、大人のエゴや世間の矛盾を生徒に解説し、考えさせ成長を見守るといった教育方針を貫いています。

教師と医師の立場こそ違いますが、客観的に生徒をみながら、いい教師を演じるという手法はある意味、医師のスタンスに共鳴することがあると思いました。

学校という舞台で、理想の教師をとなるよう努力する、教師が身を粉にして熱血指導をするといったやり方は、精神的にかなり負担を強いますし、生徒に振り回されることも多いと思いますが、「演じる」といった感覚で働くと、そこまで精神的に追い詰められることもないような気がします。

我々医師に当てはめると、いい医師になろう、ではなくいい医師を演じよう、という意識です。

病院という舞台で、医師はいい医師を演じ、患者もいい患者を演じる、患者のために自分を削ってというのは医師の精神の消耗を激しくさせます。また、患者のみならず、看護師や薬剤師などパラメディカルの人たちにもいい医師を演じようとすることでやさしく接することができます。

意識を変えてあげる、お互いにいい結果を生むような気がします。

一枚の手紙

先日、9月に亡くなられた友人の奥さんから手紙が届きました。

四十九日が滞りなく済んだという内容の手紙でした。大黒柱を失った後の家族のことを思えば、「何かしてあげられることがあれば...」と思いますが、実際してあげられることは見当たりません。

仕事上でも、亡くなられた患者さんの家族にかけてあげる言葉に非常に困ることがあります。

死亡宣告をした後、「ご愁傷様です」というのも、何か気が引けるものです。実際、命の幕引きをした者がすぐさま「ご愁傷様」というのも、いわれる家族の立場を考えると何か違和感を感じます。

治せなかった、命を永らえることができなかった医師からの言葉として何が適当か、「力が及びませんでした」というのも何か言い訳がましい気もしますし、「何かできることがあれば何でも」と大風呂敷を広げるのも、うそっぽい感じもします。

そう考えるとあまり言葉をかけることもできず、黙って亡くなった方を見送ることしかできないでいます。

医師は患者さんが亡くなってしまうと、病院の業務としては終わりと考えてしまいがちですが、その家族にとっては、亡くなられて後の気持ちの整理やいろいろな作業が大変というのがあると思います。自分の友人の家族のことを考えると、今までの亡くなられた家族の心情や状況を改めて考え直し、その接し方にもう少し配慮が必要だったのではないかと一枚の手紙を読んで反省しています。

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