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  • 畑村 洋太郎: 失敗学のすすめ

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ニュースは極力観ない

時間を捻出するのに、苦労しています。ロードバイク購入し、乗る時間も確保したいですし、ほかにやるべきことがたくさんあります。最近は、新電子カルテ委員会が目白押し(一応副委員長)のため、日常業務が後回しになり、やるべき事が後回しとなってしまってます。

そのため、無駄な時間、削れる時間を考えたところ、テレビを見る時間はもちろんのこと、新聞やネットでのニュースを見る時間を削れるのでは、と思っています。

だらだらネットのニュースを観たり、朝新聞をみる時間は削れるのでは。

日常の情勢を把握できないのも困ることがあるかもしれませんが、あまりにもつまらないニュースまで、事細かにみる必要はないでしょう。病院にいれば、重大なことがあれば話題に上り誰かかれかが教えてくれるでしょう。

いったんネットを開くと時間がどんどん過ぎます。新聞も事細かにみると朝の貴重な時間がもったいない。

それで生活が困るかどうかは、やってみてですが、どうも無駄な時間に思えてなりません。

こんな風に書くといかにも時間を切り詰めて生活しているように聞こえるかもしれませんが、自分で瞑想したり、1日の計画、反省をボーっとする時間も十分貴重で、この時間が最近なくなっており、これを確保するためにも削る時間が必要だと感じています。

ロードバイク購入!

ついに念願のロードバイクを購入しました。

1年ほど前から、購入を考えていましたが、なかなか行動にうつせず、そのままの日々が過ぎて行ってしまいました。

新しいことに挑戦するにはお金、時間、情熱が必要ですが、とくにこの中でも「情熱」が行動を起こすのに必要とされます。

私の場合は特に購入してからの「時間」も問題で、日中は日常勤務で時間が取れませんので、乗る時間を確保するにおそらく早朝が大変貴重な時間となりそうです。

なぜ、ロードバイクなのか?都会のビジネスパーソンは通勤で自転車を購入することが流行っているようですが、私の場合、病院の目の前に宿舎があり、通勤は歩いて3分です。じゃあ、乗る機会がないんじゃないのということになりますが、あえてそこで重い腰を上げ、購入に踏み切りました。その理由は

1、自家用車に乗る機会があまりにも多いこと

ちょっと本屋やショッピングモールに行くにしてもすぐ自動車です。1回の走行距離は短いものの乗る回数は頻回です。さらにガソリン代が高騰しており、かなり経済的にも負担がかかります。その点、自転車は自分の体力が動力です。1回購入してしまえばエネルギー量はただです。

2、携帯が頻回になります。

休日は一応当番制で、ファーストコールの先生は決まっていますが、家が近い分、主治医に直接電話がかかることが多いです。しかも当番でなくても緊急手術で呼ばれたりします。

一般の人と同様、医者のなかでもジョギング(マラソン)が流行っていますが、走りながら携帯にでるのはかなり難しく、また、電話応対も荒くなりがちです。ゴルフは電話にはおちついて出れますが、ほかの同伴者に迷惑をかけることを気にかけてプレーに気が散ったり、ゴルフ場からすぐに駆けつけるのも不可能です。

その点自転車走行中は止めてすぐに電話に出れますし、ある程度呼吸を整えて丁寧な電話対応ができます。もちろん駆けつけるのは大変かもしれませんが....。

3、運動不足

これを解消するのに、しばらく走っていた時期もありましたが、長くは続きません。モチベーションを保つためにマラソン大会に頻回に出ている医師もいますが、競技中は当然電話に出れませんし、出る前はかなり練習を積まなければいけない、さらに出た後も筋肉痛とかで、仕事に支障がかかる、ということになれば、あまり忙しく仕事に携わっていないというのが前提です。今の病院をリタイヤしたらやれるかもしれません。

4、新しい世界が見たい

いろいろ本を読んで、ロードバイクにはまっている人の話を読むと、「そのなにいいものなのか」と思ってしまいました。年齢を問わずできるというのも魅力で、ジョギングに比べ走行距離も長い分、いろいろな自然に触れる機会が増えそうです。

気力の充実にもつながりそうで、日々の生活、勤務に励みができるのではと期待しています。

人生の上において、この自転車(ロードバイク)に乗る、ということを経験することは自分の今後の視野を広げ、人生経験を深めてくれるきっかけとなればいいと思います。

とはいえ、実際のってみましたが、おしりはいたい、肩はいたい、足がつる、タイヤが細くふらふらしてこけそう、後ろから来る車が怖い、と初心者にはあまり快適な乗り物ではないようです。

なれるまで、まだまだ何回も乗りこなさないといけないようです。

いまさらながら感心

先日直腸癌で子宮に浸潤していたため婦人科の先生に手術に入ってもらい、子宮・卵巣をまずとってもらってから、続いて直腸の手術をしました。いわゆる「直腸子宮合併切除」を行ったわけですが、まず婦人科の先生が2人子宮をとり、私はその間そのお手伝いをしました。

それぞれ科によって、臓器を扱うやり方が異なります。今まで何度か婦人科の先生に手伝ってもらい手術をしたことがありますが、いまさらながらそのよどみない手際の良さに「さすがだなあ」と感心してしまいました。

それぞれの診療科があり、専門とする医師がいますので、やり慣れている医師がしたほうがスムーズに事が運びます。外科医は守備範囲が広いとは言われていますが、女性附属器、尿路、皮膚、骨、血管などは各診療科に任せた方が無難です。

いまさらながら婦人科の先生の手術を診てそう思いました。

外科の中でも「臓器別」に分かれているところが多くなってきました。都会の病院や大学病院のようにマンパワーがあればそうしたほうがいいのだと思います。

ただ、広く臓器を扱えることが悪いことだとは思いません。いざというときに踏ん張りがきくからです。

手術は思わぬことが起こることがあります。その時どう対処するか、他の診療科の医師に任せるか、自分で何とかするか、そんなことを瞬時に判断しないといけない、外科というのは過酷な仕事だとつくづく思います。

学生さんが最近見学に来ます

2日間、近郊の医学部の学生さんがうちの病院を見学に来ました。

本日は内視鏡検査を見に来ていました。さながら臨床実習のようでしたが、最近大学では通常の授業が行われているあいだにこうして見学に行くことが許されているとの事でした。

医学部6年生との事でしたが、我々も普段の業務に加え、研修医の相手もしないといけないので、学生さんとは二言ぐらいしか話ができませんでした。

さて、彼らには我々の姿はどう映ったのでしょう。

「こんな田舎でせこせこと地域医療をしている医者はこんな風なのか」

「ひやー、こんなになるのにどのくらいかかるんだろう、俺(私)はなれるのか?」

「この人たちは今の仕事を生きがいに感じているのだろうか」

「将来こんな風にこなせる医者になりたいなあ」

「俺(私)はもっとビックになってやる」

などなど、自分の学生自体の時を思い出しながら想像しました。

そういえば、目にするどんな医者もとても立派に見えたんだったっけ、自分は将来医者としてやっていけるのだろうか、と思ったりもして。

これから多くの可能性が開かれている彼らの姿がうらやましくもあり、もう学生時代から一から積み上げていくのがうんざりとも思ったり....。

少なくとも彼らの前では、疲れは気のない姿ではなく、意気揚々と仕事をこなす輝かしい姿をみせ、自分もああなりたいと思わせたいものです。

ものが充分にある都会では充実した医療も充分に受けられるのか

ゴールデンウィークが終わりました。

今年はスタッフが減ったので休みは期待せず、予定を入れていませんでしたが、急きょとれることが判明したので、あわてて予定を入れました。

当然人気スポットはいっぱいで、無難に、博多どんたくのある福岡市に行くことにしました。

人はたくさんでしたが、それなりに楽しむことができました。

おもに買い物や食事をしましたが、九州の田舎町に住む私にとって大都会である福岡市はものが豊富で、何でも手に入る印象です。今やネットが普及してはいるものの、ほしいものが何でも目の前にそろっているのはすごく感銘を受けます。

逆に田舎から都会に移り住んだ人にとっては当たり前に何でも揃っている環境というのはどう映るのでしょうか。田舎に帰省してみると、「こんな不便なところによくすんでいたなあ」と思うのでしょうか。

よく、都会に住んでいる患者さんの息子や娘から、「自分の住んでいるところにはがんセンターがあるのでそこで治療はどうだろか」と言われます。

もちろん患者さんの意志を尊重して、希望があれば快く手紙を書きます。しかし、患者さん本人と家族の間でいろいろやり取りがあるようです。

「先生はどちらがいいと思いますか?」と問われると、「症例数は多いとは思いますが、治療内容についてはあまり変わらないと思います」と答えます。

そういうのは自分に自信があるからではありません。結局、治療というのは施設がするのではなく、個々の人間がすることだからです。

症例の多い有名に病院でもたくさん医療訴訟や医療過誤が起こります。治療について患者さんとのトラブルもたくさんあります。結局は、その治療が良かったかどうかは、その患者さんに携わる医師のパーソナリティによるところが大きいような気がします。

都会にあるがんセンターやそこで働く医師にジェラシーを感じることもありますが、人数が多い分それだけ一人当たりの経験する症例も少なくなるわけで、またいろんな症例が診れる分、われわれの田舎の病院の方に分があると自分を慰めています。

グローバルスタンダード

われわれの行っている医療ならび治療については、保険診療に従って行っていますが、さらに癌などの病気については、「取り扱い規約」による病期分類を行い、「ガイドライン」というものが、全国どこの病院にかかっても同じ治療ができるように、医師にスタンダード治療指針を示しています。

さらに海外ではNCCN(National Comprehensive Cancer Network)ガイドラインが示され、世界基準の治療が設けられています。

医療は世界的にもいろんな薬が日々開発され、スタディと呼ばれる大規模な臨床試験がおこなわれ、治療指針が少しずつ変わっていきますので、ASCO(American Society of Clinical Oncology)などの学会でより新しい結果を仕入れることが必要です。また、その結果を受けてガイドラインも改定する必要があります。

ガイドラインに反映されるのに時間がかかりますので、いち早く情報をとりいれたければ学会に出席するか、英語論文を読まないといけません。

一般社会においても最近「グローバルスタンダート」という言葉が使われているようです。楽天やユニクロのように、社内での会話を英語でという会社もでてきており、英語の必要性、世界基準の考え方、グローバルな活動の必要性が求められています。

英語の必要性は最近盛んに言われていますが、医学界でも同様で、英語をツールとして扱えるようにならないといけないのは、今に始まったことではありません。

4月よりスタッフ減により、外科医局での抄読会がなくなってしまいました(とても手が回らない)のはとても残念で、余裕ができればぜひとも再開したいものです。

«本日よりゴールデンウィークですね